「さんふらわあ しれとこ」引退 日本海航路の変遷と老朽化進むフェリーが担った物流革命とは?
金沢~釜山航路の苦闘と消失
ここで、日韓航路に移籍したリベラ東日本フェリーの2隻その後についても触れねばなるまい。
大阪~釜山航路を行くパンスター・サニー(元さんふらわあ みと)が日韓航路で活躍したのは実質2年間だけだった。2009年からは中国の中国遠洋運輸集団「中遠之星」(COSCO STAR)として中国本土と台湾間を結ぶ航路に就航し、現在も台湾海峡を渡っているという。
そして日本海で華麗なクルーズを展開したパンスター・ハニー。筆者が乗船した3か月後の2008(平成20)年10月末、金沢~釜山航路の一時運休が発表された。航路開設直後の7月初旬、石川県の地元紙では次のように報じられていた。
「石川県などによると、6月17日に到着した第1便の乗客は、定員514人に対し98人で、翌18日の金沢港発の便は117人だった。しかし、6月24日に金沢港に着いた第2便の乗客は27人、金沢港発の便は23人だった。7月1日に金沢港に到着した第3便の乗客が3人、翌2日に出発した便は4人と利用が低迷している。(中略)なお、フェリーを運航する東日本フェリーは、一便平均300人を目標に掲げている」
筆者が乗船した金沢発便は六十数人の乗客がいた。そのうち日本人は筆者含めて3人のみ。韓国からの乗客はまだしも、日本人の利用客があまりにも少なすぎた。航路開設直後から貨物も集客も大苦戦が報じられていたが、あまりにも早すぎる運休だった。
活躍の場を失ったパンスター・ハニーは2010年、「ほるす」時代の舞台である北日本に戻った。その所属先は津軽海峡フェリーに。改装を経て名前もブルードルフィンとなり、3年ぶりに青函航路に復帰したのであった。
2014年1月、筆者はこの船を取材する機会に恵まれた。取材目的は「日本初のドッグバルコニーを備えたカジュアルクルーズフェリー」である。そして個人的にもうひとつの目的もあった。それは「パンスター・ハニーはいま」。
船会社の方に案内されて船内施設を見てまわる。すべてが変わり果てていた。ジャグジーを備え、サックス奏者が日没後にコンサートを開いていた船尾デッキはドッグランに。そして船首に設けられていた優雅なカフェ・パラダイスは鉄骨だけをむき出しにして、真冬の津軽海峡の寒風に耐えていた。
ここでたまらず案内の方に告白した。「実はこの船には、パンスター・ハニーのころに乗っているんです」と。船社の方はかなり驚いたようであった。
「そのころに乗った方なんて、私は初めてお目にかかりました!」
そのあと、次のように話された。韓国のクルーズフェリーは日本のフェリーの基準とは大きく異なるため、現在のブルードルフィンにするにはかなり大がかりな改修を行ったという。「ですから、当時の面影はほとんどないと思われます」。
ブルードルフィンはその後、「ブルードルフィン2」と船名を変更し、青函航路の運航を継続。そして2020年5月22日の夕方17時過ぎ、その最終便は青森港を出た。それを津軽海峡フェリーの社員ら関係者約20人が手を振って見送った。