「さんふらわあ しれとこ」引退 日本海航路の変遷と老朽化進むフェリーが担った物流革命とは?

キーワード :
, ,
1996年から続いた長い船旅が、商船三井フェリー「さんふらわあ しれとこ」で幕を閉じた。その19年間の航海は、九越フェリーの経営危機や日本海航路の再編を含む波乱万丈の変遷を経て、新たな時代の船旅の形へとつながった。

フェリー再編、思わぬ結末

コスコ・スター時代の「さんふらわあ みと」(画像:玄史生)
コスコ・スター時代の「さんふらわあ みと」(画像:玄史生)

 ニューれいんぼう姉妹が提案した、新しい船旅への可能性。期待が膨らんだその矢先、思いがけない知らせが届く。

「平成の北前船」の終了直後、商船三井フェリー(当時)は、リベラ東日本フェリーと共同で運航している大洗~苫小牧のフェリー航路を2007年1月に再編すると発表した。そのなかで以下もあわせて告知された。

・2007年1月から共同運航を廃止し、太平洋航路は商船三井フェリーの単独運航とする。
・ニューれいんぼう姉妹を、商船三井フェリー運航船の「さんふらわあ みと」「同つくば」と交換する。

 ここで太平洋に目を転じたい。2002年6月、商船三井フェリーと東日本フェリー共同運航が始まる。大洗と北海道を結ぶ航路で長年、しのぎを削ってきた両社は大洗航路の見直しを行った。その結果、輸送量が減少していた朝便(大洗午前9時発)を廃止し、両社の大洗発着の6隻のうち4隻を苫小牧発着に集約(東日本フェリーは室蘭発着だった)するとともに、夕方便を新設した。東日本フェリーの「ばるな」「へすていあ」が夕方便に就航し、商船三井フェリーの「さんふらわあ みと」「同つくば」はそのまま深夜便に移行した。

 2006年秋の決定はそれをさらに再編するものだ。2007年から大洗~苫小牧航路の船はすべて商船三井フェリーの「さんふらわあ」が占めることとなる。その深夜便に加わったのは元・ニューれいんぼう姉妹だった。ニューれいんぼうべるは「さんふらわあ しれとこ」、ニューれいんぼうらぶは「さんふらわあ だいせつ」に改称される。

 しかし、日本海航路にやってくるはずの「さんふらわあ」の2隻は、春になっても姿を現さなかった。リベラ東日本フェリーは、大阪~釜山間に週3便「パンスター・ドリーム」を運航しているパンスターラインという韓国の船会社に「さんふらわあ みと」を貸し出すと発表した。2007年1月末のことである。

 パンスターラインは、韓国向け貨物需要増と韓国人訪日観光客の増加で、増便を検討していた。そこへ採算性の問題から日本海航路を縮小あるいは廃止したかったリベラ東日本フェリーと思惑が一致。こうして4月、「さんふらわあ みと」は「パンスター・サニー」という大阪と釜山を往復する日韓定期フェリーへと生まれ変わった。姉妹船の「さんふらわあ つくば」はギリシャへ売船となった。こうして、日本海縦断航路再開の可能性は消えた。

全てのコメントを見る