「さんふらわあ しれとこ」引退 日本海航路の変遷と老朽化進むフェリーが担った物流革命とは?

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1996年から続いた長い船旅が、商船三井フェリー「さんふらわあ しれとこ」で幕を閉じた。その19年間の航海は、九越フェリーの経営危機や日本海航路の再編を含む波乱万丈の変遷を経て、新たな時代の船旅の形へとつながった。

日本海縦断クルーズ、始動

 1996(平成8)年4月、東日本フェリー傘下の九越フェリーが直江津(新潟県)と博多(福岡県)を結ぶ日本海航路を開設した。さらに室蘭(北海道)への航路延伸により1998年9月から週3回・隔日運航になる。そして2001年、九越フェリーは「ニューれいんぼうらぶ」「ニューれいんぼうべる」という2隻の新造船を相次いでデビューさせた。

 その就航には、苦しい事情があった。週3便運航というダイヤは使い勝手が悪く、博多~直江津の西日本海における貨物需要もとても多いとはいえなかった。そこへさらに当時の不況が追い打ちをかけた。そこで、シアターなどレジャー要素もふんだんに取り入れた従来船に比べ、かなり簡素化された「ニューれいんぼう」型に置き換えざるを得なくなったのだ。

 さらに親会社の東日本フェリーが、2003年に倒産。九越フェリーは存続の危機に立たされる。2005年、広島県のリベラが東日本フェリーほか九越フェリー含むグループ会社3社を吸収合併。リベラ東日本フェリーとして再出発のめどがようやくついた。

 その2005年3月、筆者は博多から直江津まで初めてニューれいんぼうべるに乗船した。当時はまだ九越フェリーの運航だったが、二度目の乗船となる同年10月はリベラ東日本フェリーの運航であった。そして前回とは逆ルートの室蘭~直江津~博多2泊3日(約42時間30分)の乗船だった。

 それから約1年後の2006年9月1日の深夜。筆者は博多湾に浮かぶニューれいんぼうべる船上にいた。

 この年、リベラ東日本フェリーは、国土交通省の「公共活性化プログラム」に盛り込まれた航路と地域サービス産業の活性を目的とした試験に参加し、日本海航路でモニターを行うことになった。具体的にいえば、ニューれいんぼう姉妹の日本海縦断航路に、9月1~4日の運航に限り境港(鳥取県)と金沢(石川県)のふたつを実験寄港地として加えたのである。それは2016年から2020年のコロナ禍による休止まで行われたコスタクルーズ(イタリア)の日本海周遊クルーズの嚆矢(こうし)ともいえた。コースは博多発の北上コースと室蘭発の南下コースがあり、北上コースにニューれいんぼうべる、南下コースにニューれいんぼうらぶを配船。そして、この試験航海のタイトルは「平成の北前船就航!」と打ち出された。

 筆者はこれまで山陰地方に行ったことがなかった。そこで、境港の寄港時間も長く、金沢でも観光が楽しめる北上コースに博多から金沢までモニター乗船することにした。南北両コースいずれも100人を超える乗船者を集め、日本海定期クルーズも夢ではない、と思わせられたものである。

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