「さんふらわあ しれとこ」引退 日本海航路の変遷と老朽化進むフェリーが担った物流革命とは?
深夜便の豪華さ、乗客の不満
一方、日本海から太平洋に移ったニューれいんぼう姉妹。商船三井フェリー深夜便という物流メインの航路ということで、日韓を結ぶクルーズフェリーのように派手なサービスや施設が新たに加わることもなく、静かな航海を続けていた。筆者も深夜便を利用する機会に恵まれず、歳月だけが過ぎていった。
「さんふらわあ しれとこ」になって初めて乗船することができたのは2021年7月1日のことである。この日は商船三井フェリー創設20周年にあたり、苫小牧港フェリーターミナルの窓口では、それを記念したクリアファイルをいただいた。
「平成の北前船」以来、実に15年ぶりに船内に足を踏み入れる。天井の高い四つのベッドで1室を形成するカジュアルルーム。サウナ付きの展望浴場。1990年代終盤に発表された脱衣マージャンがいまも現役のゲームコーナー。ガラス張りの喫煙コーナー。かつて長距離ドライバーが昼から酒宴を張り、一般乗客が食事をとっていたホール。そして船首にあり、まるで船長のように眼前に広がる海を眺められるサロン。この15年間、まるでときが止まっていたとしか思えない。それほど内部はニューれいんぼうべるそのものだった。
しかし、エントランスにあった緑の公衆電話は、1台をのぞいてすべて取り払われていた。1台だけ残った電話には「テレホンカードとEdyは使えません」とあり、テレホンカード販売機はもう何の役にも立たない「遺跡」に。そして、朝と昼に定食を提供するレストランの機能も持っていたホールも、いまは自動販売機コーナーと名を改め、そこで購入した冷凍食品を電子レンジで温めて食べるためだけの空間になった。乗客が注文した料理の受取口および下膳口として利用されていた扉は冷たく閉ざされたままである。
そして2005(平成17)~2006年には感じなかった、この船の古さというものも強く感じる。部屋やトイレの入り口、外部デッキに通じる非常口いずれも段差がある。バリアフリーの概念は、21世紀初頭にはまだまだ薄かったのだろうか。そして現在のフェリーではもはやスタンダードとなった個室もない。新世紀最初の年に産声を上げた船は、それから20年を経て、すっかり時代に取り残された船になり果てていた。
この船がデビューした2001年は、先にも述べたように商船三井フェリー創立の年でもある。たまたまその創立記念日に乗船したのだが、この日の夕方便では出港時に大洗で花火が打ち上げられ、船内でも記念イベントが催されたという。しかし深夜便では、クリアファイルのプレゼント以外は、何も行われなかった。夕方便に就航する2隻の「さんふらわあ」が、同社建造の船だったのに対し、深夜便の2隻はその出自が九越フェリー・リベラ東日本フェリーというすでに消えてしまった他社の船ということもあったろう。ここに「外様の悲哀」を見てとることができた。
別の年、深夜便に苫小牧から乗ったときのこと。その日は連休最終日で、たまたま夕方便の大洗行き設定がなかった。そこで、一般観光客も深夜便をあてがわれることとなった。このくたびれた船にはおよそ不釣り合いな、値段の張りそうな衣服に身を包んだ貴婦人は、船のマネジャーの顔を見るなり、いった。
「早く新しい船をつくってくださいな」
行きはクルーズ客船のテイストをほのかに漂わせる夕方便を利用されたのだろう。それとのあまりの落差に戸惑い、おののき、それに対する怒りがふつふつと彼女のなかに沸いてきた。が、激情をぶつけるでもなく「夕方便のような豪華フェリーを深夜便にも用意してほしい」とだけ、先の言葉に込めたのだ。
彼女の願いは、2025年に実現する。「さんふらわあ だいせつ」が1月19日の苫小牧発大洗行きの運航をもって引退。1月21日の大洗発便から新造船「さんふらわあ かむい」がデビューすることになったのだ。そして「さんふらわあ しれとこ」も、新造2番船「さんふらわあ ぴりか」の就航にともない、同年中に引退となる。