忘れられた「リニア計画」 今から30年前、横浜にも計画が“浮上”していた!
進捗を問うた菅義偉氏
1992(平成4)年10月17日付の神奈川新聞は、1996年度にもHSSTを走らせる、との横浜市会での論戦を紹介している。質問に立ったのは、当時の横浜市議で、後に首相を務めることになる菅義偉氏だ。沿線の宅地化を踏まえ、横浜市は長らく運行再開を後押ししてきた経緯がある。
同記事によれば、「八年(1996年)をめどにHSSTを走らせるようだが」と質問した菅氏に対し、市側の答弁は
「現在、ドリーム開発が検討中で、その方向で詰めの作業をしている」
だった。合わせて、沿線住民の利便を考慮した中間駅の設置や、HSST導入に向けた橋脚の補強など、具体策まで語られた。
翌1993年1月14日付の同紙は、日航や名古屋鉄道など49社がHSSTの全国普及に向けた新会社「エイチ・エス・エス・ティ開発」を設立し、実用化第1号がドリームランド線になる見込みだと報道。
同年4月4日付の続報では、横浜ドリームランドを背景に走るHSSTの完成予想図を掲載し
、「現存する軌道や支柱など施設の九割以上は問題がなく、三年後にも実用化は可能」
とのエイチ・エス・エス・ティ開発のコメントまで載せている。
再開決定、再開発の構想も
1995(平成7)年6月、ついにHSSTによるドリームランド線の再開が決定。橋脚の大幅な改築が必要となり、当初予定されていた1996年度の開業は遅れるものの、同月15日付の神奈川新聞の記事には、時速38km、所要時間は12~13分、車両は2~4両編成、年間利用者数は約2万人……と、より具体的な数字が並んだ。
こうなると、次なる関心は沿線開発だ。1996年5月8日付の同紙は「リニア再開」をにらみ、横浜ドリームランドの一部区画が住宅・商業地として再開発され、30階規模の高層マンション3棟が立つ構想を伝えた。バスで数十分も要していた距離がモノレールで12~13分になるのだから、その狙いも納得できる。
横浜市も、長期ビジョン「ゆめはま2010プラン」に2001年の運行再開を盛り込んだ。あとは完成を待つばかりといった雰囲気だったことがうかがえる。