忘れられた「リニア計画」 今から30年前、横浜にも計画が“浮上”していた!
宅地化で高まった待望論

一方でこの間、地域住民の間では運行再開の期待が高まっていた。のどかな田園地帯だった横浜ドリームランドの開園当時とは打って変わってベッドタウン化が進行。
遊園地へのアクセスとしてだけでなく、通勤通学の交通手段としても活用を、との構想がたびたび語られたからだ。1960年代の時点で既に、早期運行再開を見越して「モノレール通勤」をうたった分譲地の広告もあったという。
1970年代初頭には、横浜ドリームランドに隣接して神奈川県、横浜市の住宅供給公社による巨大団地「ドリームハイツ」(計2270戸、約7000人)誕生。宅地化と人口増加にともない、通勤通学の時間帯には慢性的な道路渋滞が発生し、大船駅や戸塚駅までのバスは40分~1時間も要したという。運行再開の待望論が高まったゆえんだ。
急曲線、急勾配に対応

こうした状況を受け、再開が検討されるなかで問題にされたのが、磁気浮上リニアモーターカー「HSST」だった。HSSTは空港アクセス交通への活用を見通し、日本航空が開発を進めていた方式である。
リニア中央新幹線に採用される超電導リニアが電気抵抗のない超電導磁石の吸引と反発を利用し、約10cm浮上して走行するのに対し、HSSTは通常の電磁石の吸引により、レールから1cmほど浮上して走行する違いがある。
1970年代半ばに開発が始まり、1985(昭和60)年の国際科学技術博覧会(つくば万博)などでデモ走行を実施。1989(平成元)年に現在の横浜・みなとみらい21地区で開催された横浜博覧会では、第一種鉄道事業免許を取得し、約500mの区間を走行した。これが鉄道事業法に基づく日本で初めての浮上式鉄道の営業路線となった。2005年には、愛知県の東部丘陵線(リニモ)が、常設では国内初の浮上式鉄道となった。
ドリームランド線の運行再開を巡ってHSSTが想定されたのは、その走行性能の高さからだった。路線敷設のネックとなり、重量超過の一因ともなった急勾配や急曲線に対する走行性能が高いとされているからである。