バブル期に流行った「ドライブインシアター」覚えてる? クルマの中で映画を観た“甘酸っぱい思い出”をもう一度

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日本初のドライブインシアターは、1962年に現在の東京都立川市にオープンした。米空軍横田基地出身の男性が私財を投じた。

米日本で異なる衰退事情

シネコンのイメージ(画像:写真AC)
シネコンのイメージ(画像:写真AC)

 では、ドライブインシアターはなぜ衰退したのだろうか。

 米国と日本では、時期と事情が異なる。米国においては、1970年代からすでに人気が下降傾向にあったのだ。その背景には

・不動産開発による地価の上昇
・ショッピングセンター併設のシネマコンプレックスの増加

があった。多数のスクリーンを持つシネコンが認知されていくと、作品が単一で、上映時間が夜間に限定され、悪天候の場合は上映ができないというドライブインシアターのデメリットが際立っていった。また、ビデオデッキの普及によりプライベートな空間で映画を楽しめる環境が生まれたことも影響しているだろう。

 さらにダメ押しとなったのは、2000年代に映画の上映形式がデジタル化されたことだ。古い設備の更新にともなう投資負担が大きく、多くのドライブインシアターがその波に飲み込まれたのだった。ピーク時には4000件以上あった米国のドライブインシアターの数は、2010年代には10分の1以下に減少してしまった。

 一方、日本のドライブインシアター全盛期は、1991(平成3)年のバブル経済の崩壊後もしばらく続き、新規施設の増加も見られた。

 例えば大阪府大阪市の「ドライブインシアタースターダスト舞洲」の開設もバブル崩壊後のことである。しかし、1990年代の終わりに

・携帯電話/インターネットの普及
・娯楽の多様化

が進むなかで、人々のドライブインシアターへの関心は薄れていった。2000年代に入ると、廃止される施設が目立ち、2007年には神奈川県大磯町の「ドライブインシアター大磯」が残るのみに。それも2010年に閉鎖されたことで、日本においてドライブインシアターの歴史にいったん、ピリオドが打たれた。

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