バブル期に流行った「ドライブインシアター」覚えてる? クルマの中で映画を観た“甘酸っぱい思い出”をもう一度

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日本初のドライブインシアターは、1962年に現在の東京都立川市にオープンした。米空軍横田基地出身の男性が私財を投じた。

日本初登場は60年代、普及はバブル期

ららぽーとTOKYO-BAY (画像:写真AC)
ららぽーとTOKYO-BAY (画像:写真AC)

 ドライブインシアターの日本上陸は、1960年代のこと。1962(昭和37)年、東京都北多摩郡砂川町(現・立川市)に「ウェスタン・ドライブ・イン・シアター」が開設された。これは、米空軍横田基地に勤務するポール・セゼルスキーという人物が私財を投じて開設したもので、自動車を約200台も収容できた大規模なものだったという。

 ただし、1960年代から1970年代にかけて、日本の映画会社や興行会社がドライブインシアターに手を出すことはほとんどなかった。したがって、『グリース』の公開年である1978年には、ドライブインシアターは依然として珍しい存在であり、多くの人にとって未経験のものだった。

 日本にドライブインシアターが広まるのは、1980年代になってからだ。『グリース』公開から3年後の1981年8月、千葉県船橋市に「CINE-FI ららぽーとPIT(閉鎖時・ららぽーとドライブインシアタープラウド)」がオープンし、日本におけるドライブインシアター増加の発火点となった。

 これは、郊外型の大型ショッピングセンターの先駆けである「ららぽーと船橋ショッピングセンター(現・ららぽーとTOKYO-BAY)」に併設されたもので、ひとつのモデルケースとなった。その後、東京都多摩市に「多摩ニュータウンPit(のちにドライブインシアターMOVIX TAMA)」が誕生。1980年代後半はバブル経済の隆盛、国内での自動車保有台数の増加、さらに道路網の拡張、郊外の開発とも連動してドライブインシアターの数は増えていった。

 自動車検査登録情報協会の発表によれば、国内の乗用車保有台数は1989(平成元)年に3000万台を越え、さらに右肩上がりに上昇していくことになる。また、バブル期特有の恋愛志向の高まりもあり、ドライブインシアターは新鮮なデートスポットとして受け入れられた。1990年代に入ると全盛期を迎え、20か所以上の施設が全国各地に点在する状態となった。規模としては米国には遠く及ばなかったが、それが狭い日本なりのピークだった。

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