2019年消滅「宇高航路」再開の可能性ある? 地元からは渋い反応、瀬戸大橋に翻弄されたフェリー経済とその未来
船と鉄道の交錯
2019年、最後のフェリー会社が撤退し、宇高航路は事実上消滅した。かつては本州と四国を結ぶ大動脈であり、今でも航路再開を求める声がある。航路が消えた町は今どうなっているのか。
宇高航路は1910(明治43)年、
・宇野港(岡山県玉野市)
・高松港(香川県高松市)
を結ぶ鉄道連絡船として始まった。港に面した宇野線の宇野駅には多くの特急列車が乗り入れ、船に連絡していた。駅は両岸を行き来する人たちでにぎわい、
・船内で売られていたうどん
・駅で座席を確保するために下船した人たちが走る「高松ダッシュ」「宇野ダッシュ」
は四国旅行の名物となっていた。
戦後は民間フェリー会社が加わり、鉄道連絡船とホーバークラフト(鉄道連絡船の急行扱い)、民間の3社のフェリーが終夜運航する路線に成長した。1988(昭和63)年に瀬戸大橋が開通すると、鉄道連絡船は姿を消したが、民間フェリーは存続した。その理由のひとつは「価格」だった。
瀬戸大橋の課題
開通1年後の1989年時点で、瀬戸大橋を含む瀬戸中央自動車道の料金は
・大型トラック:9780円
・フェリー:9470円
だった。
香川県高松市からは、瀬戸大橋を使えばフェリーより1~2時間短く大阪に行けた。にもかかわらず、開通後1年間の瀬戸大橋の交通量は385万2839台で、当初予想の43%。このうちトラックは約44万台と
「予想の6分の1以下」
と低迷した。その理由は、フェリー会社が主要顧客である大型トラックに対して大幅な値引きを行うことで対応したためである。詳細は明らかにされなかったが、大手の運送会社は2~3000円の値引きを受けているというのがもっぱらのうわさだった。
このため、運送会社は瀬戸大橋を利用するメリットを見いだせなかった。当時の四国運輸局の調査によると、大型トラックのフェリー利用は瀬戸大橋開通前に比べて8.5%しか減っていない。