2019年消滅「宇高航路」再開の可能性ある? 地元からは渋い反応、瀬戸大橋に翻弄されたフェリー経済とその未来
2019年、最後のフェリー会社が撤退し、宇高航路は事実上消滅した。かつては本州と四国を結ぶ大動脈であり、今でも航路再開を求める声がある。航路が消えた町は今どうなっているのか。
本音は「再会難しい」

筆者(昼間たかし、ルポライター)は別の取材で宇野(玉野市)を訪れていたので、ついでにこの問題に対する地元の意識についても聞いてみることにした。
現在の宇野は、アクセスに時間がかかる街になっている。かつて鉄道の要衝として多くの列車が走っていた頃とは違う。宇野駅と岡山駅を結ぶ宇野線(宇野みなと線)の本数も減っている。岡山駅への直通列車も減り、瀬戸大橋線と合流する茶屋町駅で乗り換えが必要な列車も多い。
岡山駅から宇野線に乗ろうとしたところ、2時間先まで電車がなく、駅前から児島湾締切堤防を越えて宇野行きの特急バスに乗るように指示された。バスも宇野行きの乗客は5人ほどしかいなかった。
さて、あちこちで宇高航路の復活について聞いて回ったが、誰も実現可能だとは思っていなかった。行政関係者でさえ、こんな話をしていた。
「選挙などになると、航路再開を口にする候補者がいますが、“方便”にすぎず、実現不可能だと思います」
確かに地元財界では再開を求める声があるが、需要が見込めるとは思えないというのが大方の見方だ。別の行政関係者も
「航路が再開されたとしても、需要は期待できません。それよりも、“アートの島”として外国人観光客が数多く訪れる直島や豊島にアクセスする最寄りルートとして宇野港は価値があります。そんな観光客が増えているためか、空き店舗が目立っていた商店街でも、最近では新たな店舗の出店が相次いでいます。これからの宇野港は、宇高航路よりも“アートの島”への玄関口としてにぎわうことが期待されているんです」
とコメントしていた。