2019年消滅「宇高航路」再開の可能性ある? 地元からは渋い反応、瀬戸大橋に翻弄されたフェリー経済とその未来

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2019年、最後のフェリー会社が撤退し、宇高航路は事実上消滅した。かつては本州と四国を結ぶ大動脈であり、今でも航路再開を求める声がある。航路が消えた町は今どうなっているのか。

通行料金値下げの影響

鉄道連絡船の線路跡にある玉野産業振興ビルには、模型など往時の展示物がある(画像:昼間たかし)
鉄道連絡船の線路跡にある玉野産業振興ビルには、模型など往時の展示物がある(画像:昼間たかし)

 しかし、瀬戸大橋が通行料金の値下げを始めると状況は一変した。岡山県と香川県の要請を受けた本州四国連絡橋公団が往復通行料金の割引率を拡大し、徐々に運賃を引き下げていったのだ。現在、大型トラックの通行料金は平日(坂出北~早島)で3710円である。

 とはいえ、フェリー航路は盤石と考えられていた。玉野市と高松市はこの航路を通じて経済的な結びつきが強く、通勤・通学の需要が高かったからだ。しかし、瀬戸大橋の価格引き下げ策によって、フェリー会社は次第に経営難に直面した。

 特に打撃を受けたのは、2009(平成21)年から始まった高速道路の自動料金収受システム(ETC)割引政策だった。「ETC利用で休日の上限1000円」いう大幅な値下げにより、価格優位性を失いつつあったフェリーは苦境に陥った。

 その結果、割引開始直前の2009年3月には本四フェリーが、2012年10月には宇高国道フェリーも運休を決め、最後に残った四国フェリー(最終的に運航していたのは、分社化した四国急行フェリー)も2019年12月に運休した。

 最後に残った会社は、岡山県、香川県、玉野市、高松市の支援を受けていた。しかし、2016年まで3000万円あった支援金は2017年には1500万円に減額され、採算悪化のなかで増額が認められず廃止となった。

再開への願い

鉄道連絡船廃止後に再開発が行われたため、唯一残っている桟橋(画像:昼間たかし)
鉄道連絡船廃止後に再開発が行われたため、唯一残っている桟橋(画像:昼間たかし)

 廃止の理由は、移動手段がフェリーから瀬戸大橋に完全にシフトしている状況で、自治体が支援に消極的だったためといえる。

 とはいえ、現在に至るまで宇高航路の再開を求める声は何度もメディアで報じられており、2021年には玉野商工会議所が約3年の社会実験として再開を提案した。

 そのときの提案は、50人乗りの旅客船を使い、

「片道1500円」

で朝夕計4往復する航路を設定するというものだった。初期投資に

「3442万円」

かかるが、1便平均8人の乗客がいれば運賃収入だけで採算が取れる。この提案は話題にならず、その後真剣に検討されることはなかった。

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