東名と名神の“境界”は「小牧IC」だった! 名古屋IC・小牧JCT説は間違い、その歴史をたどる
間違えやすい理由

東名・名神はその名のとおり、東京と名古屋の間を、名古屋と神戸の間を走っている。多くの路線に起点や終点周辺の主要都市の名前が付けられている。東名や名神がその先駆けだ。阪和自動車道(大阪と和歌山)や札樽自動車道(札幌と小樽)などもある。
・東名にも名神にも「名(名古屋)」が入っている
・中京圏の中心は名古屋である
・東海道新幹線の愛知県内の主要駅は名古屋駅である
ことから、名古屋ICが東名と名神の境界と想像されがちだ。
続いて小牧JCT。同JCTは日本初の高速道路(東名・中央自動車道〈中央道〉)同士が接続するJCTで、古くからの交通の要所となっている。
多くの高速道路がJCTを起点または終点としているため、小牧JCTが境界と思われているのも無理はない。実際、中央道は小牧JCTが終点なので、余計に間違えやすい。
しかも、中央道から小牧JCTへ行く場合、
・静岡/東京方面:東名
・京都/大阪方面は:名神
の表記がなされているため、これも間違えやすい理由となっている。
建設構想になかった東名

改めて、東名・名神の境界は「小牧IC」である。
その理由をひもとくには、高速道路の歴史をさかのぼる必要がある。東名は今でこそ日本を代表する交通量の多い路線だが、高速道路の黎明期には路線として構想されていなかった。
日本の高速道路構想は戦前からあったが、戦後復興期に田中清一と田中角栄のふたりの努力によって実現。1957(昭和32)年4月、国土開発縦貫自動車道建設法が制定された。
各地域の主軸となる路線を建設する計画で、
・北海道
・東北
・中央
・中国
・四国
・九州
の6ルートが計画された。東京~名古屋~神戸間は、これらを最短距離で結ぶルートとして計画され、現在の中央道や名神に近いルートをたどる予定だった。
当初の計画の名残は現在も残っており、中央道と名神は、国土開発縦貫自動車道建設法などの法律・政令上の路線名で「中央道西宮線」として結ばれている。