リニア工事見通し立たず 地元民が懸念する「丹那トンネルの二の舞」という現実、水源枯渇の歴史と川勝知事の正当性とは
2027年のリニア中央新幹線開業が危ぶまれている。JR東海の丹羽俊介社長は8月3日、大阪市内で開いた定例記者会見で、リニア中央新幹線の品川~名古屋間の建設が「まだ見通しが立っていない」ことを明らかにした。
大量の湧水との戦い

丹那トンネルは1918(大正7)年に着工し、1933(昭和8)年に開通した。東海道本線が開通したのは1934年で、実に長い工事期間だった。土木技術が未発達だったことに加え、トンネルが大量の湧水に見舞われたことが原因だった。
トンネル掘削は大量の湧水と戦わなければならなかった。脆弱(ぜいじゃく)な地盤や大量の地下水を含む地層を掘り進む作業だったからだ。
「トンネルに入る時には必ず皆武装しなければなりません。どんな武装かといいますと、まず合羽を着ます。市場にはあまり見受けない全部ゴム製の合羽です。それから長靴を履きます。丈も長いゴム靴で太ももまであります。それから帽子をかぶります。これも防水布のカバーがかけてあります。(中略)坑内の仕事は早い話が土砂降りの雨の時に、しかも川の中で仕事をするのと同じなのです」(鉄道省熱海建設事務所『丹那トンネルの話』工業雑誌社、1934年)
技術が未熟だった当時の大量越水対策は、試行錯誤の連続だった。そこで見いだされたのが「水抜き坑」を利用する方法だった。
これは、元のトンネルと平行に別のトンネルを掘るというもの。こうすることで、地面から水を排出し、高水圧を防ぐことができた。
『丹那トンネルの話』には
「水を絞れるだけ絞って枯らす第二の方法を採るのが一番確かな方法」
だったとして、これが有効だったことを記されている。
このために掘られた水抜き坑は、トンネル自体の長さのほぼ2倍に相当する14kmに及んだ。つまり、トンネルの上の山にたまった水をすべて抜いて作業を進めたのである。