16戦15勝! 1988年のF1「マクラーレン・ホンダ」はなぜ無敵だったのか
FIAの規制を逆手にとったホンダ

ターボエンジンにとって、最終年となった1988(昭和63)年。ついに燃料タンク容量を150リッターに、最大過給圧も2.5バールへとさらに規制が強化された。これによって実戦での最高出力はホンダの場合で685psにまで低下することとなった。
しかし困難さが増加した要因はそれ以外にもあった。それは燃料容量の大幅減である。当時はレース中の燃料補給は認められてはおらず、レースは全行程をスタート時に搭載した燃料だけで走り切らなければいけなかった。
ピーク時に220リッターあった燃料タンク容量が150リッターにまで減らされたことで、ターボエンジンを使っていたチームの多くは、燃費とパワーのバランスのはざまで苦闘することとなる。
しかしここで有利に作用したのが、ホンダが1970年代から多くの研究とともに蓄積していた希薄燃焼に関するノウハウだった。ピークパワーを維持しつつ、使用燃料を最小限に抑える。その上で、希薄燃焼にともなうデトネーション、その他のエンジンに深刻なダメージを及ぼしかねない異常燃焼を防ぐ。その結果として、エンジン全体の信頼性を確保する。
ホンダはFIAがターボエンジンに課した過酷な規制をある意味逆手に取った。その上で自社が持っていた過去の技術の蓄積を生かすことで圧倒的な優勢を得たということである。
1988年シーズンのF1において、シャシーパートナーをマクラーレンとしたホンダは、全16戦中15勝という驚異的な成績を記録するとともにコンストラクターズタイトルを獲得、ドライバーズタイトルもマクラーレンのアイルトン・セナが獲得した。2位もマクラーレンのアラン・プロストであり、まさにパーフェクトチャンピオンとなった。
ホンダとしてはチームがウイリアムズからマクラーレンに変わったものの、エンジンサプライヤーとしては3年連続のチャンピオンでもあった。