中国偵察気球より「風船おじさん」を思い出せ! 平成初期・太平洋横断への飽くなき情熱、冷めた令和人こそ再注目だ
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1992年11月23日、冒険者を自称する鈴木嘉和氏が、滋賀県の琵琶湖畔からゴンドラを付けた風船で米国を目指して飛び立った。覚えているだろうか。
そして2回目の挑戦

ところが、これに運輸省(当時)が待ったをかけた。同省の航空局運行課は
「本人に無線免許がない上、ゴンドラの正確な位置を知るための航空交通管制用自動応答装置(ATCトランスポンダ)もなく、装備不十分」
として許可を出さなかった。
これら当時の報道を見ると、さほど無謀な人物とはいいきれないことがわかる。少なくとも本人の計画は綿密であり、当局でも装備が十分であれば、風船で飛び立っても問題はないと判断していたのだ。
運輸省が許可を出さなかったのに対して、鈴木氏が下した判断は
「勝手に飛び立つ」
ことであった。ただ、この判断も決して間違いとはいいきれない。
日本人で初めてヨットで太平洋を単独無寄港横断した堀江謙一氏という人がいる。1962(昭和37)年、堀江氏は出国許可の方法を探ったものの、最終的に「密出国」を決断している。米国に到着した堀江氏が現地で大歓迎を受けていることが知らされるまでは、無謀な冒険を非難し、犯罪者まがいの見方をする意見が多かった。
鈴木氏も成功すれば認められるという思いがあったのだろうか。運命の1992年11月23日、試験飛行をするという鈴木氏に呼び出されて集まった関係者やマスコミの前で、鈴木氏は
「では行ってきます」
と一言告げると、そのまま飛び立ったのである。携帯電話を所持していた鈴木氏は、飛行中に取材に答えているが、
「申請しても運輸省の許可は得られないだろうし、仕方なかった」
と話している。
その後、25日に宮城県沖で海上保安庁の捜索機に、元気そうに手を振る姿を見せたのを最後に鈴木氏は姿を消した。海上保安庁では米国・カナダ・ロシアに情報照会を行ったものの、現在に至るまで消息は明らかになっていない。