武田信玄はなぜ信濃を支配下に置いたのか? そのカギは「馬」にあった! 軍事・運輸に欠かせない、その歴史をたどる【連載】江戸モビリティーズのまなざし(11)

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江戸時代の都市における経済活動と移動(モビリティ)に焦点を当て、新しい視点からそのダイナミクスを考察する。

馬市を奨励し財政を潤わせた藩

上が『江戸名所図会』の浅草馬市。1834~1836(天保5~7)年に描かれたもの、下が『日本山海名物図会』の仙台馬市。藩が奨励した市で、多くの人でにぎわった(画像:国立国会図書館、国立公文書館)
上が『江戸名所図会』の浅草馬市。1834~1836(天保5~7)年に描かれたもの、下が『日本山海名物図会』の仙台馬市。藩が奨励した市で、多くの人でにぎわった(画像:国立国会図書館、国立公文書館)

 一方、江戸時代には「馬喰」(ばくろ)と呼ばれる商人も登場した。馬を売買する者で、東京都中央区にある日本橋馬喰町の地名は、彼らが管理していた馬場があったことに由来する。

 江戸では馬市も開かれた。そのうちのひとつ、浅草で開かれた馬市の様子が『江戸名所図会』に載っている。12月、100頭超の南部馬を売買した市で、場所は現在の台東区花川戸の辺りだ。

 もちろん地方にもあった。仙台藩の馬市は、『日本山海名物図会』に描かれている。こちらは年2回、春・秋の開催だった。場所は国分寺で、現在の宮城県仙台市青葉区である。

 仙台藩の市は藩が奨励し、大変なにぎわいを見せたという。仙台商工会議所の広報誌『飛翔』2010年5月号には、こうある。

「仙台藩は、種馬や売買の対象となる二歳馬を登録・管理し、あるいは飼育する者に対して各種の助成を与え、また藩営の牧場を作るなど、さまざまな施策を講じて馬産の振興に努めた」

藩の財政を潤す一大産業だったといえる。

 また、『日本山海名物図絵』には「まず幕府の役人、ついて藩の役人、一般の取引はその後に行われた」と紹介され、あらゆる階層が購入していたことがわかる。乗馬訓練用の「武具」に、武士が移動したり物資を輸送したりする「車」に、農作業用の「農具」に、需要は社会全般に広がっていた。

 馬の生産地が自動車生産工場なら、馬市は見本市、つまり試乗展示会といっていいだろう。江戸時代まで、馬は日本のモビリティにとって舟と並んで必要不可欠であり、歴史を陰から支える立役者だったのである。

●参考文献
・馬と人の江戸時代/兼平賢治(吉川弘文館)
・「馬」が動かした日本史/蒲池明弘(文春新書)
・『飛翔』2010年5月号 仙台城下「町人列伝15」/菅野正道(仙台商工会議所)

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