いくつ知っている? 首都圏から消えた「モノレール」と知られざるその裏事情とは
40年間放置された幻のモノレール

●モノレール大船線(ドリーム交通)
このモノレールは、かつて存在した日本ドリーム観光という会社が神奈川県横浜市に経営していた遊園地・横浜ドリームランド(1964年開業)と併設するホテルエンパイア(1965年開業)への交通手段として、1966(昭和41)年に誕生した。
日本ドリーム観光の子会社として設立されたドリーム交通が運営し、一般的にはドリームランドモノレールと呼ばれた(以下、その通称で統一)。方式は跨座式、そのなかで東京芝浦電気(現・東芝)が開発した「東芝式」と呼ばれるものが採用されている。
現存する湘南モノレール江の島線も大船を起点としているが、ドリームランドモノレールは、国鉄の駅とは別途にあった大船駅と、遊園地に隣接したドリームランド駅とを結んでいた(事業種別は鉄道)。
従来、大船から遊園地までのバスは通常15分、渋滞時は20分、30分とかかったが、モノレールを利用すれば8分で移動が可能に。この利便性から、遊園地、ホテルの利用客だけではなく、周辺住民の足として活用されることも期待されての開業だった。
ところが、わずか1年半弱でドリームランドモノレールは大ピンチを迎える。
・走行タイヤのパンク
・車軸の折れ曲がり
・制御装置の誤作動
など、車両の欠陥が次々に発覚したのだ。調査した結果、車両の重量が設計されたものより大幅に超過していることがわかる。
以後、しばらくは乗車定員や運転本数の削減など、負荷を軽減して運行する措置がとられた。ところが、軌道にも安全面で問題アリのダメージがみつかったことで、1967年9月にドリームランドモノレールは運休を余儀なくされる。重量が超過したのは、ルート上に激しい起伏があったため、
・それに耐えうる高出力のモーターが採用された
・部品に強度が高いものを用いられた
ことがなどが主因だとされた。
休止から約1年後、ドリーム交通はモノレールの設計や設備の工事を請け負った業者を提訴し、賠償金の支払いを求めることになる。以後、係争中は証拠となる車両や軌道などはそのままの状態に放置された。
裁判は長期化し、和解が成立したのは1981年のことだった。結果的にそれが致命的なマイナスとなった。13年の歳月により設備が激しく劣化し、受け取った多額の賠償金をつぎ込んでも、とても採算がとれない状態になっていたのだ。
ドリーム交通は翌年、ドリーム開発という別会社にドリームランドモノレールの経営権、事業免許が譲渡して解散。以後、いくつかの再開計画が浮上するが、一度も実現することはなかった。
一方、早々とモノレールを失った横浜ドリームランドは、“交通の便が悪い”という評判を拭うことができないまま長年の経営不振に苦しむ。1988年にダイエーの傘下に入るが、経営状態が好転することはなかった。2002(平成14)年2月、横浜ドリームランドは37年半の歴史に幕を閉じた。廃墟として残っていたモノレールの施設は2005年までに撤去されている。