日本GPを制した「ダイハツP-5」 60年代後半、小メーカーの意地を知れ!

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空前のモータースポーツブームに沸いていた1960年代後半。日産、トヨタ、ポルシェなどの並みいるレーシングチームと、ダイハツが熾烈な争いを繰り広げた。技術力で挑んだダイハツの威信とは。

P-3、洗練されたボディと圧倒的な出力

 基本となるシャシーは、フロントエンジン/リアドライブのコンパーノのままだったものの、ボディは空力的にさらに洗練されたかわいらしいクーペとなっていた。

 そして何よりも画期的だったのは、このモデルからエンジンがコンパーノ用のFE型OHV2バルブ直列4気筒958ccをベースに、ボア×ストロークを68mm×66mmから78mm×66mmへと拡大、ギアトレインカムドライブのDOHC4バルブをマウントしたR92A型という名の純レース用1261ccユニットを開発。

 最高出力はベースとなったFE型の65psから、110psへと大幅に向上していた。

 ダイハツP-3はそのユニークなボディはもちろん、国産プロトタイプカーとしてはプリンスR380に次ぐ純レース用のDOHC4バルブエンジン搭載車だったことも大きな注目を集めた。

 ダイハツP-3は1966年度日本GPのGP-1クラスにおいて見事優勝を飾るとともに、ダイハツオリジナルというべきそのレースエンジンの優秀性を証明したのである。

 そして翌1967(昭和42)年日本GPに送り込まれたのが、シャシーを新設計のマルチチューブラースペースフレームとし、エンジンの搭載位置はミドシップへ、ボディカウルもガルウイングドアを備えたスポーツプロトタイプらしいクーペとなった1台、その名も「ダイハツP-5」だった。

 エンジンはP-3と同じR92A型だったものの、吸排気系を見直すことで最高出力は130psへと増加しており、ボディの空力的処理の効果と相まってレースカーとしてのポテンシャルが大幅に高まっていたことは確実だった。

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