フォードの「高級車ビジネス」が短期で頓挫した理由

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ヘンリー・フォードには、高級車ビジネスへの参入という野望があった。息子や孫に受け継がれたその野望が、頓挫した理由とは?

エドセル・フォードの理想と死

1940年型リンカーン・コンチネンタル。正式な車名はリンカーン・ゼファー・コンチネンタル。エドセル・フォードが全てにわたって指揮を執り、開発されたフラッグシップ(画像:矢吹明紀)
1940年型リンカーン・コンチネンタル。正式な車名はリンカーン・ゼファー・コンチネンタル。エドセル・フォードが全てにわたって指揮を執り、開発されたフラッグシップ(画像:矢吹明紀)

 高級車ビジネス、それは多くの自動車メーカーにとって、一度は手掛けてみたい分野なのは間違いない。ちなみに、高級車のルーツとして現代にその名をとどめているロールスロイスやパッカードは、「高価格」であることを付加価値として意識していたわけではない。

 20世紀初頭に内燃機関の自動車がようやく普及し始めた時、その性能と品質は甚だ不安定な状態にあり、意識の高い経営者と設計者は、その信頼性を高めるための努力を惜しまなかった。そしてその結果が市場からの「信頼性の高さ=高級である」との評価に他ならなかった。かつての高級車とは「信頼性」こそが、その理由の根源だった。

 一方、アメリカにおける大量生産車のルーツであり、自動車の普及に大きく貢献したフォード・モーター・カンパニーを率いていたヘンリー・フォードには、高級車ビジネスへの参入という野望があった。

 ヘンリー・リーランドが創業した自動車メーカーであるリンカーン・モーターカンパニーを、1922年に買収。自身の長男であり後継者でもあったエドセル・フォードにその経営を託すと同時に、フォードとは明確に異なるプレミアムブランドとしてのリンカーンの展開を開始したのである。

 ちなみにヘンリー・フォード自身は貧しい農家の出身ではあったものの、経営者として成功してから誕生したエドセルには、早い段階から後継者としての質の高い教育と、一流の芸術品などに接する機会を提供することを惜しまなかった。

 そんなエドセルが好んだのは、メカニズム、デザイン、仕上げの全てに多くのコストをかけた、時代を象徴する高級車であり、以降リンカーンは、エドセルの指導の下に高級車ビジネスを拡大してゆく。そしてその最初の理想の具体化こそが、1940年に本格生産が始まった初代のリンカーン・コンチネンタルだった。

 しかし好事魔多し。1943年5月26日、ヘンリー・フォードの後継者となるはずだったエドセル・フォードは、がんとの闘いの果てにこの世を去った。享年50。早過ぎる死だった。

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