就役は1930年! 太平洋戦争で数万人の邦人を救った「氷川丸」の記憶とは

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国の重要文化財に指定されている船舶3隻のうち、横浜市の山下公園に係留展示されている氷川丸。すでに船齢90年以上を数えるこの船がたどった太平洋戦争の軌跡とは。

3万人以上の重症患者を救った病院船

横浜市の山下公園に係留されている氷川丸(画像:写真AC)
横浜市の山下公園に係留されている氷川丸(画像:写真AC)

 その一環だったのが、海軍艦艇を補完するための優秀商船の徴用といわゆる特設艦艇への改造である。建造から日が浅く高性能なものを中心に、特設巡洋艦、特設水上機母艦、特設潜水母艦、特設輸送艦などが次々と誕生していった。

 特設病院船もこれら特設艦艇の一種ではあったものの、違う点があった。

 他の特設艦艇が戦闘艦艇として攻撃対象であったのに対して、病院船/特設病院船は船体を白く塗装し、緑の帯と十字の識別標識と標識照明装置を配置。船名を交戦国側に事前通知することで攻撃目標から外すとともに、戦域内の安全通行を約束するということが戦時国際法で定められていた。

 氷川丸は同時期に特設病院船となった大阪商船の高砂丸とともに、太平洋戦争においては主として南方域の離島守備隊を巡回しての医療活動、および重症者の収容活動を実施した。

 時として誤爆や誤雷撃にさらされたこともあったと言われているが、最終的には28回の航海で3万人以上の重症患者の日本送還を行ったほか、寄港地ではさらに多くの戦傷/戦病兵の治療において、極めて大きな貢献をした。

 さらに太平洋戦争終結後は、戦後復員船として活躍。4万5000人以上の邦人帰国輸送を成し遂げた。

 復員輸送後は設備を本来の貨客船に改め、国内航路をへて1953(昭和28)年からは北米航路へと復帰、最終航海となった1960年まで実に238回の太平洋横断航海を行い、引退した。

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