就役は1930年! 太平洋戦争で数万人の邦人を救った「氷川丸」の記憶とは
国の重要文化財に指定されている船舶3隻のうち、横浜市の山下公園に係留展示されている氷川丸。すでに船齢90年以上を数えるこの船がたどった太平洋戦争の軌跡とは。
海運史に残る優秀商船、波乱の軌跡

姉妹船だった日枝丸、平安丸とともに、1930年代の日本商船を代表する優秀船として、太平洋戦争前にはその名を広く知られていた存在だった、
総トン数は1万1622トン。全長163.3m。機関出力1万1000bhp。最大速力は18ノット余り。安定して15ノットの航海速力を発揮することができた。
これらの数字は、近年のフェリーなどと比較すると当然のごとく見劣りするものの、1930年代の商船としては極めて優秀であり、わが国の海運史におけるまさにエポックメイキングな存在でもあった。
何より21世紀の現在において、この時代の商船が幾度かの改装をへつつも原型に近い状態で保存されている例はなく、世界の船舶史においても誠に貴重な存在と言っても過言ではない。
さらに氷川丸の存在をいっそう貴重なものとしているのは、その波瀾万丈な歴史にある。
前述の通り、氷川丸は日本郵船の北米航路貨客船として就役し活躍していたが、太平洋戦争の影が忍び寄っていた1941年11月、日本海軍に徴用されることとなる。
種別は特設病院船である。
日中戦争勃発以来、欧米との関係が悪化の一途をたどっていたことから、日本政府はアメリカやイギリスとの開戦を想定した準備に着手した。