貴重な「鉄道遺構」はどのくらい残すべきか? 鉄道開業150年で大直面、ライターが感じたJR東の「冷淡さ」とは
鉄道開業から150年。高輪築堤の保存に関して、多くの人が納得できる形で決着することはできるのか。
2019年に発見された鉄道遺構
2019年4月、JR東日本が東京都港区教育委員会に対して「掘削工事中に石垣のような遺構を発見した」との連絡を入れた。JR東日本は山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」駅を開業させるべく、駅予定地および周辺で工事を実施。その過程で、鉄道遺構の高輪築堤が出土した。
高輪築堤は、1872(明治5)年にわが国初となる新橋~横浜間の鉄道が開業する際に造成された土木構造物で、それらは当時に描かれた錦絵や後に撮られた写真などでも存在は確認されていた。
しかし、歳月とともに周辺地域は都市化。これにより、都市整備が進み、高輪築堤は人の目に触れることはなくなった。きちんとした記録が残されていなかったこともあり、高輪築堤は消失したと思われていた。JR東日本が2020年に開業させた高輪ゲートウェイ駅とそれに伴う再開発は、結果として歴史的大発見につながった。
JR東日本から連絡を受けた港区教育委員会は、「工事計画を変更する」とともに「現場の保存」を通達。しかし、JR東日本は「計画の変更は難しい」と回答。JR東日本が描く開発が進められる前に出土した高輪築堤は早急に調査が進められた。
高輪築堤は鉄道史という限定的な話ではなく、日本の近代史を考えるうえでも重要な遺構だ。そのため、記録として残すのではなく現場での完全な保存を求める声も強かった。掘削で発見された高輪築堤は約800mにも及び、学術界からは全体的に保存することが要望されている。東京都や地元自治体である港区も、できるだけ多くを現場で保存することを望んでいた。
他方、JR東日本は記録として保存されたこともあり、現場には一部の遺構を保存する方針だった。自治体・学術界とJR東日本の高輪築堤に対する方針の違いは、言うならば優先順位の違いを如実に物語っている。