貴重な「鉄道遺構」はどのくらい残すべきか? 鉄道開業150年で大直面、ライターが感じたJR東の「冷淡さ」とは

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鉄道開業から150年。高輪築堤の保存に関して、多くの人が納得できる形で決着することはできるのか。

保存に求められる熟議

mAAch ecute神田万世橋(画像:(C)Google)
mAAch ecute神田万世橋(画像:(C)Google)

 しかし、どれだけ残すのかといった量的な話もさることながら、どのように残すのかといった残し方も形も重要になる。

 わかりやすくするため、極端な例を出す。東京タワーが役割を終え、その役割をたたえるために記念碑的に残すことになった場合、同じ東京都だからと言って沖ノ鳥島に移設保存しても意味がない。記録保存やミュージアムの保存ではなく、現場で保存するからこそ歴史的な背景や当時の人たちの思い、息遣いなどを感じられることもある。

 だからといって、何でもかんでも現場で保存することになれば、現代を生きる私たちの暮らしに支障が出てしまう。その兼ね合いをどうするのか。有識者や自治体、地域住民、そしてJR東日本が熟議して、折り合いをつけるしかない。

 高輪築堤の件だけではなく、JR東日本は同じような経験を何度かしている。参考になりそうな事例は、汐留駅と万世橋駅の取り扱いだろう。開業当初の新橋駅は、その後に貨物専用の汐留駅となった。1986(昭和61)年に汐留駅が廃止された後は、周辺が再開発された。

 現在、同地周辺は高層ビルが立ち並ぶが、その一画には旧新橋停車場というミュージアム施設がある。旧新橋停車場には当時の鉄道遺構を目にできるほか、展示室などのギャラリーで展覧会なども定期的に開催されている。旧新橋停車場というミュージアムが残されたことで、同地は再開発後も鉄道の歴史を感じられるエリアとなっている。

 万世橋駅は、JR中央線の前身である甲武鉄道が1912(明治45)年に開業させた。万世橋駅の駅舎は東京駅と似た赤レンガ造りで、完成当時は行き交う人の目を引き、東京名所にもなった。万世橋駅の設計者は東京駅と同じ辰野金吾で、いまや東京駅が重要文化財となっていることを踏まえると、万世橋駅も現存していたら同等の評価を受けていただろう。

 しかし、万世橋駅は関東大震災で焼失。再建された駅舎は赤レンガではなかった。関東大震災で東京の都市構造が変化したことなどから、万世橋駅はあまり利用されなくなる。こうして万世橋駅の重要性は低下し、1943年には乗降場としての役割を終えてしまう。

 駅の役割を終えるのと前後して、万世橋駅には鉄道博物館が併設された。同館は東京駅の高架下にあった鉄道博物館を移設したもので、移設後の1946年には交通文化博物館と改称。さらに1948年には交通博物館と再改称している。

 同館は2006(平成18)年に閉館するが、跡地は2013年に再整備されて複合商業施設のmAAch ecute神田万世橋へと姿を変えた。同施設は商業施設ながら、ミュージアム的な要素も残した鉄道遺構となっている。

 そのほかにも、京浜東北線・根岸線の桜木町駅も鉄道遺構を残しつつ商業施設としてリニューアルを遂げている。汐留駅と万世橋駅、そして桜木町駅は鉄道遺構の保存と開発が共存できた好例と言えるだろう。

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