地下鉄は来ず、インフラが朽ちた街――高齢化率約6割、23区の“外れ”と化した「桐ヶ丘」という巨大団地のいま
1953年から続く桐ヶ丘の団地開発は約5000戸に及んだが、地下鉄7号線計画は1976年に中断され、街の将来像は大きく変わった。2020年には1丁目人口の58.9%が65歳以上となり、北区平均の2倍超に達するなど高齢化が進む。現在は再開発や商業施設整備が動き出す一方、交通網の遅れや人口流出が課題として残る。
残された名店と地下鉄未開通による多大な損失

桐ヶ丘団地の象徴ともいえるのが桐ヶ丘中央商店街である。団地の高齢化を扱う記事でもよく取り上げられてきた場所で、実際に訪れると、報道の通りシャッターが下りたままの店が目立っていた。建物の古さも進み、一部では天井や壁がはがれている箇所もある。建て替えが近いことを思わせる状態である。
玩具店の前には、もう使われていない遊具が置かれており、全体として寂しさのある雰囲気になっていた。
一方で、営業を続ける店もある。前述の玩具店「ふくしま」は、今では珍しいプラモデルなどを扱っており、親子連れでにぎわっていた。
また、商店街から西に少し外れた場所にある「三益酒店」は、全国各地の蔵元と取引のある店として知られている。北区でも有名な酒屋であり、取材時は昼間にもかかわらず、飲み比べを楽しむ客でにぎわっていた。
この商店街から少し西側に外れた場所には、地下鉄7号線の桐ヶ丘駅が置かれる予定だった。もし地下鉄が通っていれば、終着駅となる桐ヶ丘の商店街や街は、今よりもにぎわっていた可能性が高い。
その場合、今のような古い団地中心の街ではなく、赤羽で見られるような高い建物や商業施設が並ぶ景色になっていたかもしれない。地下鉄が来なかったことで失われた可能性の大きさを考えると、当時の反対の経緯は別としても、惜しい結果だったといわざるを得ない。
また地下鉄南北線は大きな車両基地を持てなかったため、車両の留め置きには市ヶ谷駅などの留置線のほか、東急や埼玉高速鉄道の車両基地も使う必要がある。点検作業についても千代田線や有楽町線の車両基地に頼っている。
このように、路線の運行には今もなお他路線の設備に支えられている面があり、その影響は現在まで続いているといえる。