生活保護で「自動車」を認めるべきか?――「車を捨てれば仕事がない」1967人の調査で見えた、制度と現実の断絶 ネットの声とともに読み解く
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移動の自由と尊厳のはざまで

この問題は単なる「車の所有可否」という制度論にとどまらない。
1967人のアンケートと27人のインタビューから浮かび上がったのは、移動手段を持てないことが、働く意欲そのものを奪っていく構造だった。
「車を手放すと通勤や子どもの送迎が困難になる」
「車が必要なため生活保護申請を断念する」
こうした声は、制度と現実の間で引き裂かれる人々の苦悩を物語る。前述の受給者調査でも「働きたい」と回答した人は60.0%に達しており、就労意欲は決して低くない。
一方で、責任能力をめぐる不安も無視できない。前述の、40年前の追突事故の被害者が「賠償能力なしで補償なし」と泣き寝入りした事例は印象的だ。任意保険に入れない車が公道を走ることへの拒否感は、感情論ではなく、実際の被害経験に根ざしている。
この対立を乗り越える道はあるのか――。
ひとつの糸口は、技術の活用だろう。走行データを基にした安全運転評価、それに連動した保険料の公的補助。資産の有無ではなく、運転の質で信頼を見極める仕組みが整えば、損保業界にとっても新たな市場が開ける。移動支援と事故リスク管理を両立させる発想が求められている。
もうひとつは、地域ごとの柔軟な運用だ。都市部と地方では、公共交通の状況がまるで違う。バス停まで徒歩1時間以上という地域で、都市部と同じ基準を押し付けるのは無理がある。自治体が地域の実情に応じて判断できる余地を広げることが、制度と現場の溝を埋める第一歩になるはずだ。
そして最も重要なのは、この問題を「弱者への施し」としてではなく、
「人材の活用」
として捉え直すことだ。被保護世帯数が164万6424世帯である今、彼らを支出の対象としてとどめるのか、それとも移動の手段を通じて経済の流れに戻すのか。受給者の76.2%が病気や失業といった不可抗力で制度を利用している現実を踏まえれば、働く意志を持つ層への移動支援は、将来の税収増につながる投資となる。短期の財政負担を抑えることだけを優先すれば、自立の可能性を自ら手放すことになる。
「移動の自由」は、人間の尊厳に直結する。
・働く場所を選べること
・子どもを送迎できること
・通院できること
それらが保障されて初めて、人は社会に参加できる。車をぜいたく品として切り捨てるのは簡単だが、その判断が何を奪い、何を生み出すのか。
約200万人の受給者が抱える移動の制約は、やがて地域の経済活動全体を弱める。メーカーや投資家にとっても、この層を市場から排除し続けることは、長期的な成長機会の喪失を意味する。
制度の見直しを求める司法の判断が出た今、行政には動く理由がある。だが、動くためには世論の後押しが要る。賛否が割れる問題だからこそ、感情ではなく、データと事例を基にした冷静な議論が必要だ。
車を持つことで生活保護を脱却できた人がいる。一方で、無保険の車に傷をつけられ、泣き寝入りした人もいる。どちらの現実も、等しく重い。
答えはひとつではない。だが、判断を先送りにすれば、移動の格差は広がり続ける。車を生きるための手段としてどこまで許容するのか。そのときに何を引き受けるのか。その問いに、私たちはいつまでも背を向けていられない。