「最近の電車はどれも同じ」は本当か? ――画一化を嘆くファンが気づかない、メーカー5社の「先端戦略」とは

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通勤電車の姿は似てきたが、その裏では1990年代以降の大量更新と人手不足を背景に、各社が異なるプラットフォーム戦略を磨いてきた。メーカー選択をたどると、地域鉄道の事情と経営判断が浮かび上がる。

1990年代以降の構造変化

日立 A-trainを採用する東京メトロ副都心線車両と相鉄線車両(画像:写真AC)
日立 A-trainを採用する東京メトロ副都心線車両と相鉄線車両(画像:写真AC)

 1990年代に入ってから、日本の鉄道車両づくりを取り巻く前提は少しずつ変わっていった。どれかひとつの要因が業界を揺らしたというより、複数の変化が重なり合い、気づけば従来のやり方では回らなくなっていた、という感覚に近い。

 まず目の前に現れたのは、更新の波だった。高度成長期の1960~1970年代に大量投入された車両が、ほぼ同じ時期に寿命へ近づく。各社とも置き換えを先送りできず、首都圏を中心に新車の発注が続いた。工場は途切れなく動くが、必要な編成数は膨大で、これまでの延長線上の進め方では追いつかない。更新が日常業務ではなく、経営課題としての重みを帯び始めた時期でもある。

 同じ頃、人手の問題が現実味を帯びてきた。熟練工の経験に頼ってきた製造や保守の現場では、技能の継承が思うように進まない。若い世代が減り、作業を覚える人が足りなくなる。ベテランの勘に頼る工程ほど、担当者が変わった途端に品質や納期がぶれる。再現性や計画性が損なわれることへの不安が、メーカーにも事業者にも広がっていった。人がいれば何とかなる、という前提が通用しなくなったのである。

 加えて、国鉄分割民営化がもたらした調達の変化も無視できない。かつては共通仕様でまとめてつくり、同じ形式を数多く並べるやり方が基本だった。民営化後は各社が個別に車両を考え、必要な分だけ発注する形に移る。結果として一形式あたりの数量は減り、種類は増えた。細かな要望に応えるほど手間がかかり、コストは上がる。メーカー側にとっても、事業者側にとっても、負担は軽くない。

 こうした動きが同じ時間帯に重なったことが厄介だった。更新は待ってくれないのに、担い手は減り、しかも車両の中身は複雑になる。従来の考え方やつくり方をそのまま続けるのは、現実的ではなくなっていった。現場の工夫だけでは吸収しきれず、やり方を見直さざるを得ない。1990年代以降のメーカーが直面したのは、そうした状況だった。

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