率直に言う 「EVか、エンジン車か」というネット論争は、本当に時代遅れで“無意味”である
自動車産業は電動化や自動運転の進展で構造変化を迎えた。販売網や工場を活かし、AIと走行データを軸にサービス収益を最大化できる企業だけが競争を制する。
パワートレイン論争が起きた理由

2010年代後半、自動車産業は大きな変化の波にさらされた。ダイムラーが2016年に掲げた「CASE」は象徴的な出来事であり、これはConnected(コネクテッド)、Autonomous(自動運転)、Shared(共有)、Electric(電動化)の頭文字を取った、次世代自動車の開発戦略を示す概念である。
電動化や自動運転といった技術が進むなかで、環境への対応が企業の義務とされる空気が急速に広まった。この流れは、
「バッテリー式電気自動車(BEV)を推進する脱炭素志向 vs 内燃機関を問題視する見方」
という二項対立を生み、各国の政策に“共通言語”として浸透した。その結果、車の価値は従来の走行性能や効率性よりも、排出量という数値によって測られる構図が強まったのである。
背景には、気候変動への対応を短期間で制度化し、既存の産業秩序を書き換えようとする地政学的な意図がある。各国政府は、排出量という数値で政策を運用できることに注目した。そのため本来は技術開発の制約条件であるはずの脱炭素が、目指すべき目標として扱われてしまった。元来の目的は、
「持続可能な移動環境を整える」
ことにあるはずだが、パワートレインの選択そのものが独立した課題として強調されてしまったのである。ここでいうパワートレインとは、
・エンジン
・モーター
・トランスミッション
など、車両を走らせるための動力生成と伝達の仕組み全体を指す。
いまの議論は、技術の優劣よりも、法規制を通じて市場の範囲や秩序を政治的に裁定することに偏っており、その影響で産業の本質的な進化が見えにくくなってしまっている。