率直に言う 「EVか、エンジン車か」というネット論争は、本当に時代遅れで“無意味”である
政策の焦点が移る先

脱炭素は依然として法的な制約条件として作用するが、産業の優劣を左右する主戦場にはもはやならない。今後の政策において重視されるべきは、排出量だけを見た一面的な評価ではなく、車両の稼働状況や安全性、ライフサイクル全体を含めた社会的な効果を総合的に高めることだ。自動運転がもたらす事故の構造的削減や、都市全体の移動効率向上がもたらす間接的な環境負荷の低減こそ、実効性のある指標として注目されるべきだろう。
政策の焦点は、テールパイプからの排出規制に留まらず、
・エネルギー供給網の安定性
・データの主権確保
・特定プラットフォーマーによる市場支配の抑制
へと移っている。データが新たな資源として価値を持つ時代、利権を公共の利益にどう結びつけるか――が独占禁止の議論を加速させる。パワートレインの選択という技術的な話を超えて、国家としてモビリティをインフラ戦略のなかでどのように位置付けるかが、今後の国際競争力を左右する重要な課題となる。繰り返そう。
「電気かエンジンか」
といった二極的な議論はすでに過去のものとなっている。問われるべきは、移動という行為から人間を何から解放し、どのような社会を選び取るのかという点である。完全自動運転が標準となる社会では、BEVの選択は「目的」そのものではなく、AIが最適に機能するための結果として生じる
「システム上の帰結」
にすぎない。パワートレインを巡る論争が次第に周縁化するなか、産業の焦点は体験の質と制度の柔軟性、運用の速度に移っている。技術の優劣を競う段階は過ぎ去り、その技術を社会システムにどう組み込み、新しい価値を生み出すかが問われる時代に入った。
私たちはもはや、パワートレインという手段に固執するのではなく、移動という概念が消えた先の社会像を見据える視点を持つ必要があるのだ。