山口百恵「いい日旅立ち」が全く色あせない理由――1978年、赤字国鉄の時代に生まれた、人生を問い直す旅の装置
1978年、山口百恵の「いい日旅立ち」は国鉄キャンペーンソングとして登場。新幹線延伸や成田開港を背景に、日常の移動を人生の自己確認装置として描き、半世紀を経ても駅や式典で響き続ける。
旅立ちが映す昭和社会

1978(昭和53)年11月21日、山口百恵の「いい日旅立ち」がリリースされた。作詞・作曲は谷村新司によるもので、この曲は国鉄(日本国有鉄道)の旅行キャンペーンソングとして制作された。発表から半世紀近く経った今も、駅の発車メロディーや卒業式、旅番組の挿入曲として、日常のなかに深く息づいている。
だが、なぜこの曲は時代を超えて“旅立ち”の象徴であり続けるのか。それを探ることは、日本人の移動と生き方の変化を読み解くことでもある。
1978年は、日本の交通史にとって重要な転換点だった。この年の5月には新東京国際空港(現・成田空港)が開港し、海外との移動がより身近になった。1975年には山陽新幹線が博多まで延伸し(全線開通)、国内の大都市間移動が鉄道だけで完結できるようになった。駅のホームには、スーツケースを抱えた人々が行き交い、笑顔や緊張の入り混じった表情が広がっていた。国内も海外も、旅は特別な行為から、誰にでも可能な現実的な選択肢へと変わりつつあった。
国鉄はこの新しい時代に向け、旅をロマンではなく日常の延長として再定義しようとしていた。かつての「DISCOVER JAPAN」キャンペーンが未知の日本を再発見するという静的な呼びかけだったのに対し、「いい日旅立ち」は今日ここから出発するという動的な行為を描く。窓越しに流れる景色、列車の揺れ、車内でふと考え込む瞬間――こうした日常の細部まで、旅の物語に組み込まれていたのである。
まさに移動をキーワードにした、時代のモード転換を象徴する曲だった。旅は遠くに行くことだけではなく、いまこの場所から自分の物語を始める行為として、日本人の生活意識に深く根づいたのである。