山手線の北側部分が、まるで「M」みたいな形になってるワケ

キーワード :
池袋~田端間の山手線には、列車からも確認できる「M字型」の奇妙な線形が存在する。1903年開業のこの区間は、切り通しや谷戸の地形を巧みに活かし、当時最大の10‰勾配を克服。都市計画と鉄道技術が交錯した、戦略的路線設計の記録である。

鉄道勾配と都市設計

山手線(画像:写真AC)
山手線(画像:写真AC)

 線路は田端駅まで台地の下を走っていた。しかし、巣鴨方面は上りの急勾配となるため、切り通しを活用して勾配を緩和した。それでも当時の最大傾斜である10‰(パーミル)に達したという。‰は鉄道用語で傾斜を示す単位であり、10‰は「1000m進むと10m高くなる」という意味である。一見すると緩やかに見えるが、鉄道にとっては非常に急な坂であり、設計者や工事関係者にとって大きな挑戦であった。

 板橋駅付近から分岐して田端方面につなぐルートも検討された。しかし、どちらにしても台地の勾配を昇り降りする必要があった。当時は町外れで人口も少なく、十分な乗客を確保できる見込みも薄かった。そのため、難工事であっても線形を工夫し、技術と地形のバランスを取ることが優先された。

 さらに、設計者は線路の勾配だけでなく、沿線の谷戸や小川、既存の道路や町屋との関係も考慮してルートを調整した。切り通しを巧みに利用しつつ、台地や谷戸を避ける工夫を重ねた結果、現在のM字区間が完成したのである。この難工事は、鉄道敷設ではなく、都市の将来を見据えた設計判断の積み重ねであったことを示している。

 結果として、この区間は池袋駅という一大ターミナルの誕生につながった。列車に乗ると、勾配や線形の変化は体感として伝わる。線路は交通路ではなく、都市の成長と技術の挑戦、地形との対話の記録でもある。設計者が直面した困難や都市計画上の制約を想像することで、

「M字線形の意味」

がより立体的に理解できるのである。

全てのコメントを見る