なぜ目黒駅は「品川区」にあるのか? 地元の“猛反対説”は本当か

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山手線の目黒駅は目黒区ではなく品川区にある。1885年の開業以来、「住民反対で移設された」という伝説が語られてきたが、真実なのか。生糸輸出がGDPを支えた時代に下された決断はいかに。

伝説の真相

目黒駅(手のカーソル部分)周辺の地形(画像:国土地理院)
目黒駅(手のカーソル部分)周辺の地形(画像:国土地理院)

 目黒駅追上事件が歴史的事実ではないと考えられるようになったのは、21世紀に入ってからだ。きっかけは2006(平成18)年刊行の地理学者・青木栄一の著書『鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町』(吉川弘文館)である。

 鉄道忌避伝説とは、鉄道創成期に全国各地で語られ始めた俗説だ。住民が線路を市街地に通すことに反対したため、駅や線路が町の中心から離れた場所に置かれたとされる。地誌や市町村史にはしばしば記録されているが、当時の新聞や住民の日記を調べると、大規模な反対運動の証拠はほとんど見つからない。

 研究者は、ほとんどの線路は技術的・経済的理由で計画され、住民の影響は駅位置の微調整にとどまったと指摘する。反対運動がルート変更の直接原因になった例は極めてまれで、伝説として語られる場合がほとんどだ。

 青木の著書は、駅と繁華街が離れている理由として語られる「地元住民の反対」を検証したものである。研究の結果、鉄道反対運動があったとされる地域に資料はほとんど存在せず、多くの鉄道忌避伝説は俗説にすぎないと判断された。では、目黒駅追上事件も同様に俗説だったのか。もし駅が住民の反対で移設されたのであれば、何らかの資料が残るはずである。

『目黒の近代史を古老にきく2』(目黒区守屋教育会館、1985年)にわずかに記述が見られる。1983(昭和58)年開催の座談会記録では、当時70歳以上の地元住民は地主の反対を「子供の頃に聞いた話」として伝聞する程度で、実際に見聞きした証言はなかった。日本鉄道の建設ルートには多少の変更はあったものの、工事は計画通り進められたと考えられる。

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