コンコルドはなぜ消えたのか? マッハ2の夢の終焉! 燃費3倍と「ソニックブーム」の壁とは

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大西洋を3時間半で横断した“空のロールスロイス”──最速マッハ2.04の超音速旅客機コンコルド。2003年の退役から20年、約300万人が搭乗した幻の名機は、なぜ現代に継承されないのか。映画『エアポート’80』に描かれた夢と、現実の経済的限界を読み解く。

コンコルドの広まりと高い注目度

 その速度性能により、ビジネスや外交における移動時間は大きく短縮された。運航期間中の利用者数はおよそ250万人から300万人にのぼる。ピーク時には年間10万~15万人が搭乗していたと推定されている。

 運賃は通常のファーストクラスの数倍に設定されていた。そのため、利用者の多くは富裕層や政府関係者など、ごく限られた層だった。

 コンコルドは単なる高速移動手段ではなかった。エールフランスとブリティッシュ・エアウェイズのフラッグシップ機という役割も担っていた。機内は1クラス制で、サービスはファーストクラス相当。専用ラウンジ、豪華な機内食、記念品なども用意されていた。この体験そのものが、一種のステータスシンボルだった。

 就航路線は限られていた。主に大西洋横断が中心で、代表的なルートはロンドン~ニューヨーク、パリ~ニューヨークなどである。また、ロンドン~バーレーン~シンガポール線では、ブリティッシュ・エアウェイズとシンガポール航空が共同運航を行った。機体には両社の塗装が施され、注目を集めた。

 日本にも数回飛来している。1972(昭和47)年には試作機がデモンストレーションと販売促進のため羽田空港を訪れた。さらに1979年の東京サミットでは、フランスのヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領がコンコルドで来日した。羽田空港にはおよそ1万人の見物客が集まったと報じられている。

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