「バスが数分遅れた」「わがまま過ぎる」 なぜネット民は“障害者”を執拗に叩くのか? 合理的配慮が“被害者意識”にすり替わる根本理由! 三島由紀夫の言説から考える

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「弱者をいじめるべし」という三島由紀夫の逆説的な警句が、現代の公共交通やSNS上で繰り返される“偽装された弱者”論争を照らし出す。6万超の「いいね」を集めた議論は、配慮の不備に起因する遅延やクレームの構造を解きほぐし、被害者意識の肥大化が社会的分断を招く現状を浮き彫りにする。

強者が演じる弱さの罠

路線バス(画像:写真AC)
路線バス(画像:写真AC)

 三島由紀夫の逆説は、決して弱者を攻撃せよといっているわけではない。現代の私たちは、自分のなかにある「被害者を演じる自我」にこそ警戒すべきだ。

「私は我慢している」
「自分だけ損をしている」

という感情が他者への攻撃に変わると、人は無意識に「強者でありながら弱さを演じる側」になってしまう。真の「いじめるべき弱者」とは、他人に配慮を求める人ではなく、不満を“誰かのせい”にして正当化しようとする健常者である。

 三島の命題は、私たちに他者の弱さではなく、

「自分の弱さの演出」

を見つめ直せと促している。被害者意識が肥大化したSNS時代に、合理的配慮を「特権」や「ズル」と感じる感情は、成熟した公共空間を壊す。

 我慢している私を根拠に他者を攻撃する社会ではなく、配慮の必要性を共有できる社会こそ、本当に「弱さに優しい社会」であるはずだ。弱者をいじめよという逆説は、他者ではなく自己の内面に向けられるべき問いなのである。

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