「バスが数分遅れた」「わがまま過ぎる」 なぜネット民は“障害者”を執拗に叩くのか? 合理的配慮が“被害者意識”にすり替わる根本理由! 三島由紀夫の言説から考える

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「弱者をいじめるべし」という三島由紀夫の逆説的な警句が、現代の公共交通やSNS上で繰り返される“偽装された弱者”論争を照らし出す。6万超の「いいね」を集めた議論は、配慮の不備に起因する遅延やクレームの構造を解きほぐし、被害者意識の肥大化が社会的分断を招く現状を浮き彫りにする。

逆差別感情が生む誤解

三島由紀夫の肖像、1955年。土門拳撮影。
三島由紀夫の肖像、1955年。土門拳撮影。

 インターネットを検索すると、

「車いすの乗車補助でバスが数分遅れた」
「駅員が手間を取られ、しかもクレームまで受けた」

といったような投稿が定期的に拡散されている。数千件の共感が集まるケースも少なくない。

「なぜあの人だけ特別扱いされるのか」
「自分は我慢しているのに」

といった声の背景には、“逆差別”を感じている層の存在がある。「障がい者様」なる酷い揶揄もある。

 しかし、こうした遅れやクレームの原因は障がい者自身ではない。もともと公共交通のインフラが、「すべての人が使える」設計になっていないからにすぎない。

 とくに通勤ラッシュのような過密状態では、この設計の不備が個々の補助行為にしわ寄せされる。「あの人のせいで遅れた」という構図ができあがる。

 つまり、本来はシステムの未整備に向けられるべき不満が、「配慮を受ける側」にぶつけられるという不条理が起きている。

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