「バスが数分遅れた」「わがまま過ぎる」 なぜネット民は“障害者”を執拗に叩くのか? 合理的配慮が“被害者意識”にすり替わる根本理由! 三島由紀夫の言説から考える

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「弱者をいじめるべし」という三島由紀夫の逆説的な警句が、現代の公共交通やSNS上で繰り返される“偽装された弱者”論争を照らし出す。6万超の「いいね」を集めた議論は、配慮の不備に起因する遅延やクレームの構造を解きほぐし、被害者意識の肥大化が社会的分断を招く現状を浮き彫りにする。

演出された被害者性

三島由紀夫『不道徳教育講座』(画像:角川書店)
三島由紀夫『不道徳教育講座』(画像:角川書店)

「どんな強者と見える人にも、人間である以上弱点があって、そこをつっつけば、もろくぶっ倒れるものですが、私がここで「弱い者」というのは、むしろ弱さをすっかり表に出して、弱さを売り物にしている人間のことです」

「この代表的なのが太宰治という小説家でありまして、彼は弱さを最大の財産にして、弱い青年子女の同情共感を惹き、はてはその悪影響で、「強いほうがわるい」というようなまちがった劣等感まで人に与えて、そのために太宰の弟子の田中英光などという、お人好しの元オリンピック選手の巨漢は、自分が肉体的に強いのは文学的才能のないことだとカンチガイして、太宰のあとを追って自殺してしまいました。これは弱者が強者をいじめ、ついに殺してしまった怖るべき実例です」

「不具者や病人は、弱きを売物にしているわけではなく、やむをえず弱さに生きなければならぬ不幸な気の毒な人たちですから、ここでは除外して、別に不具でも病人でもないのに、むやみと、「私は弱いのです。可哀想な人間です。私をいじめないで下さい」という顔をしたがる人のことに限定しましょう」

「こういう弱者をこそ、皆さん、われわれは積極的にいじめるべきなのであります。さア、やつらを笑い、バカにし、徹底的にいじめましょう」(以上、三島由紀夫『不道徳教育講座』)

 文中の不具者(ふぐしゃ)という言葉は、かつて使われていた表現で、身体に障がいがある人を指す。漢字の通り、「具わっていない人」という意味を持つ。現代では差別的で、蔑視を含む表現とされている。

 さて、三島は『不道徳教育講座』において、作家・太宰治を例に挙げ、「弱さを演出し、他人の同情や寛容を引き出すことによって他者を支配する」態度を批判した。ただし三島は同時に、「不具者や病人はやむを得ず弱さに生きなければならぬ」と書き、身体的条件による弱者をその批判の対象から除外している。

 つまり、三島の標的は「弱さそれ自体」ではなく、「演出された弱さ」によって自己の利得や免責を引き出そうとする、いわば“戦略的被害者”なのである。

 この逆説的な命題「弱者をいじめるべし」は、実のところ「偽装された弱者性」を見抜けという警句であり、「真正な弱者を攻撃してよい」という暴論では断じてない。

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