軍事オタクはなぜ“戦車”に執着するのか? 「いいえ、航空機・艦船にも執着します」
一部の軍事オタク層はP-1を「高性能」を根拠に否認を繰り返す。兵器を巡る情緒的信仰と社会的無理解が、防衛政策の健全な議論を蝕んでいる。
「スペックは優れている」

ふたつめの、「スペックは優れている」も自己欺瞞である。問題の軸ズラシによる否認である。
P-1問題は、なによりも信頼性不足である。稼働率が低い。解決見込みが立たない。その費用もわからない。そういった内容である。
それに「スペックは優れている」は反論とはならない。「動かないので商売にならない」問題に「高性能だから差し支えはない」はピント外れだ。
だが、軍事オタクは真顔でそういう。それで問題のマイナスは打ち消せると考えているのだろう。
その中身も誤っている。魚雷投下精度の無価値は前記事で述べたとおり。ここでは繰り返さない。
「低空を低速で安定して飛べる」もそうだ。洋上哨戒専用に設計した飛行機とのふれこみだが、それは「昔の対潜戦にあわせた」との時代遅れの告白でもある。
なお、P-1のエンジン不調を抱えている。P-3Cの高度30m、P-2J/Vでの「独身なら15m」のような超低空飛行はリスクとなる。
いずれにせよ、背景には
「性能しか見ない狭隘さ」
がある。傑作、成功作、凡作、失敗作、欠陥品を分けるのは数字で示せる額面性能との思い込みである。以前に「「軍事マニア」はなぜ劣化したのか? ミリタリー記事が「スーパーカー記事」に酷似する構造的理由! 性能至上主義&批評不在がもたらす「思考停止」のワナとは」(2025年3月2日配信)で述べた問題の影響があるのだろう。