夏目漱石は運転がヘタだった? 明治に日本へやって来た「自転車」、庶民はどう受け入れたのか
さっそうと乗りこなした志賀直哉

いかにも運動音痴な夏目漱石に反して、自転車をさっそうと乗りこなしたのが志賀直哉だ。
1951(昭和26)年発表の『自転車』という随筆で、10代の頃(1900年前後)に「自転者○狂」を自称するほどに自転車に熱中したことをつづっている。
まだ自動車が一般的ではなく、電車も走っていない時代、祖父にせがんで買ってもらったという自転車を幼い頃の直哉は勇んで乗り回す。東京中の急な坂道を登山のように登り降りし、横浜や千葉に遠乗りし、街中で会った自転車乗りに競走を挑み、競走に飽きると曲乗りにも挑戦した。
「乗るには片足を前輪と後輪とをつなぐ弓なりのフレームについている小さなステップにかけ、もう一つの足で地面を蹴って車を押し、惰性のついたところで、二段目のステップから、悠然と鞍(くら)に跨(またが)り、道行く人を眼下にしながら走って行く」
その描写からは、自転車という羽を得た10代の直哉からみなぎる躍動的な自信と、自転車に乗ることで庶民が獲得した新しい身体感が伝わってくる。
自転車で得る身体能力の拡張

最後に紹介するのは『月に吠える』で知られる詩人の萩原朔太郎だ。
朔太郎が1936(昭和11年)に著した『自転車日記』は、1921(大正10)年から翌年にかけ(朔太郎、36歳)、弟に付き添われながら自転車を練習した模様を記録している。
漱石同様、転倒転倒の連続で、ある日には自転車の不良で崖に激突するという壮絶な事故にも遭うが、高名な文人が弟に生真面目な指導を受けながら試行錯誤する様子は、ほほ笑ましくもある。
ついに自転車術を会得した朔太郎の喜びの言、
「既ニ全ク熟練シ、市中ヲ縦横ニ乗走シ得。歩行シテ数時間ヲ要スル遠路ヲ、ワズカ一時間ニシテ走リ、シカモホトンド疲労ヲ知ラズ。天下アニカクノゴトキ爽快事アランヤ」
には、次世代のモビリティによって身体能力が拡張することへの、新鮮な驚きがありありと表現されている。