夏目漱石は運転がヘタだった? 明治に日本へやって来た「自転車」、庶民はどう受け入れたのか

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人々の生活に身近な自転車。そんな自転車はどのようにの人々の生活に浸透していったのか。さまざまな文献から歴史をたどる。

文豪も自転車を絶賛

夏目漱石。「近代日本人の肖像」より(画像:国立国会図書館)
夏目漱石。「近代日本人の肖像」より(画像:国立国会図書館)

 自転車有害論を尻目に、憧れを抱いて挑戦する人はやはり多かったのか、自転車のハウツー本も出版されるようになる。

「国会図書館デジタルコレクション」で「自転車」と検索するだけでも、

『自轉車利用論 : 乗方指南』(1890年)
『自転車術 : 一名・輪術』(1896年)
『自転車乗用速成術 : 一日一時間三日三時間』(1899年)
『新式自転車独修』(1900年)

などなど、いくつかのそれらしい本を見つけられる。明治大正の人々が、自転車という未知の乗り物に悪戦苦闘した様は、文豪たちが残したエッセーからもうかがい知ることができる。

 もっとも有名な作品は夏目漱石の『自転車日記』だろう。時は「西暦一千九百二年秋」、漱石がロンドンに留学していた当時、下宿先のマダムに「命令的に」すすめられて、自転車練習に苦心する様子をコミカルにつづった日記エッセーだ。

 異国の地で、よわい35にして自転車に初チャレンジする東洋人の悲嘆と惨めな姿を、漱石は徹底して俯瞰(ふかん)目線で自虐的に、そして無駄に臨場感あふれる筆致に活写している。サドルにまたがりペダルに足をかけるも、ハンドルのコントロールままならず、「大落五度小落はその数を知らず、或時は石垣にぶつかって向脛を擦すりむき、或る時は立木に突き当って生爪を剥はがす」と満身創痍(そうい)の様子は痛々しくも笑ってしまう。特訓の末に、漱石が下した結論は次の通り。

「自転車の鞍とペダルとは何も世間体を繕うために漫然と附着しているものではない、鞍は尻をかけるための鞍にしてペダルは足を載せかつ踏みつけると回転するためのペダルなり、ハンドルはもっとも危険の道具にして、一度これを握るときは人目を眩(くらま)せしむるに足る目勇(めざまし)き働きをなすものなり」

 自転車の腕前は悲惨なものだが、文章のキレはさすが文豪といったところだ。

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