漫画『ワンピース』は嘘だった!? 知られざる「海賊」の歴史と蛮行! 2024年襲撃116件…現代も続く脅威、船舶対策の最前線とは

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自由の象徴ともされる“海賊”は、今なお世界の物流を脅かす現実の存在だ。2024年には海賊被害が116件発生。古代から現代まで変貌を遂げつつも続く脅威と、国際社会の対策を経済の視点で追う。

日本の海賊の歴史

村上海賊に関するウェブサイト(画像:村上海賊アピール推進委員会)
村上海賊に関するウェブサイト(画像:村上海賊アピール推進委員会)

 日本にも独自の海賊文化が存在していた。なかでも「倭寇(こう)」と呼ばれる集団は、14世紀から16世紀にかけて東アジアの海域で活動していた。

 彼らは日本、朝鮮、中国の沿岸部を襲撃する一方、貿易も行いながら略奪を繰り返していた。倭寇はふたつの時期に分けられる。前期倭寇(14~15世紀)は日本人が主体だった。松浦などの倭人が高麗の沿岸を侵略していたが、やがて勘合貿易が始まり、正式な貿易が行われるようになると沈静化していった。

 一方、後期倭寇(16世紀)は勘合貿易(室町時代の日本と明の中国との間で行われた公式な国交・貿易制度)の衰退とともに増加した。主体は中国人で、少数の日本人も加わっていた。彼らは密貿易を行っていたが、豊臣秀吉による海賊停止令の発令により、次第に衰退していった。

 また、中世の瀬戸内海を中心に活動した村上海賊も知られている。ただし、彼らは倭寇やカリブ海の海賊のような略奪者とは異なる存在だった。村上海賊は高度な海洋技術を持ち、航海の安全を保障していた。瀬戸内海の交易と流通の秩序を保つ役目を担っていた。因島、能島、来島の三家が村上姓を名乗り、各地の航路を押さえていた。それぞれが海城を築き、海の要衝に拠点を置くことで、戦いへの備えと同時に関所のような役割を果たしていた。これにより瀬戸内海の東西交通を支配していた。

 村上海賊は戦国時代の合戦でもその名を轟かせた。厳島の戦いや、織田信長と毛利元就の間で起こった第一次木津川の戦いでは、勝利に大きく貢献している。彼らは「海の武士」とも呼ばれた。水軍としての側面に加え、海の安全保障や流通の管理にも従事していた。その多面的な活動を含めて村上海賊と呼ばれる。

 戦国時代に力をふるった村上海賊も、最終的には豊臣秀吉の海賊禁止令により力を失い、衰退していくことになる。

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