「日産終わった」「プライド高すぎ」 そんなバッシングをする前に、自動車ファンで「日産の可能性」を考えてみないか?
日産とホンダの経営統合協議が破談し、批判が相次いでいる。2024年4~9月期の純利益は9割減、北米・中国市場での苦戦、EV戦略の遅れなど、日産の経営環境は厳しい。だが、バッシングを続けるだけで何が変わるのか。商品力低下、過剰生産、技術開発の遅れ――この3つの課題をどう克服するかが、日産再生の鍵となる。今こそ「日産らしさ」を再定義し、成長戦略を描く時ではないか。
バッシングの応酬
![日産自動車のロゴマーク。2022年1月14日撮影(画像:時事)](https://merkmal-biz.jp/wp-content/uploads/2025/02/250207_nissandayo_01.jpg)
日産とホンダの経営統合協議が破談となり、各所から批判が噴出している。企業統治の問題、経営判断の遅れ、グローバル戦略の失敗といった指摘は的を射ているように見える。しかし、このバッシングの応酬が日産の未来にとってどのような意味を持つのか、冷静に考える必要がある。
日産の経営状況は極めて厳しい。2024年4~9月期の連結純利益は前年同期比9割減となり、本業である自動車事業のフリーキャッシュフローは24年上期の半年間で約4500億円の赤字に転落。北米市場では商品力の低下を販売奨励金で補う戦略が破綻し、中国市場ではEVシフトの波に乗り遅れた。販売台数の減少、余剰生産能力の抱え込み、競争力のある電動車ラインナップの欠如と、課題は山積している。
こうした状況を前に、ネット上のコメントで
「日産はもう終わった」
「経営陣のプライドが高すぎる」
と切り捨てるのは容易い。しかし、それで何が変わるのか。日産の凋落は一朝一夕に生じたものではなく、20年以上にわたる経営判断の積み重ねの結果だ。単純な批判が解決策につながるわけではない。日産をバッシングし続けることは、むしろ負のスパイラルを加速させるだけではないか。
もし、自動車ファンが本当に日本の自動車産業を愛し、日産の名車を未来に残したいと考えるなら、
「日産がどう生き残るか?」
という問いに真正面から向き合うべきではないだろうか。