ローカル線廃止論者と維持論者が全然噛み合わない「3つの理由」 経済vs感情の終わりなきジレンマとは
異なる価値観が生む対立
ローカル線の存廃を巡る議論は、現在の地方創生政策において注目される重要なテーマのひとつである。廃止論者は、赤字解消や自治体の負担軽減を理由に廃止を主張し、維持論者は地域住民の生活支援や観光振興を目的に鉄道を残すべきだと訴える。
しかし、議論が進むにつれて双方の意見は平行線をたどり、合意に至ることは少ない。この
「すれ違い」
は単なる意見の不一致ではなく、両者が異なる
・前提
・価値観
に基づいて議論を展開しているために起こる。本稿では、この問題を経済的な視点から掘り下げ、なぜ議論がかみ合わないのか、その理由を考察する。
廃止論の経済的根拠
廃止論者の主張の根底には、「経済的合理性」がある。利用者数が少なく赤字を垂れ流す路線を維持することは、限られた財源を無駄にする行為だという立場だ。
彼らの主張は、具体的な数字に裏打ちされている。ローカル線の収支を見てみると、多くの路線が深刻な赤字を計上し、その補填は自治体や国の財政支援に頼っている。この点について
「持続可能ではない」
という判断は、経済的に見て理にかなっている。また、廃止論者は代替交通手段として
・バス
・タクシー
の導入を提案する。これにより、鉄道の維持コストを削減できるだけでなく、地域住民の利便性も向上する可能性があるとされる。しかし、この論理の背後には、
「鉄道は他の輸送手段に置き換え可能である」
という前提が存在しており、これが維持論者との対立を深める要因となっている。
一方で、維持論者は鉄道を「単なる交通手段以上の存在」として捉える。鉄道は地域の公共財であり、その存在は住民の生活基盤を支えるだけでなく、地域の文化や歴史にも深く関わっていると考えられている。
維持論者が訴えるのは、鉄道が持つ
「目に見えない価値」
である。たとえば、通学や通院で鉄道を利用する住民にとって、その廃止は生活の質の低下を意味する。また、鉄道が地域の観光資源として機能している場合、その廃止は観光客の減少や地域経済の縮小を招く可能性がある。さらに、鉄道は地域住民の結束やアイデンティティを象徴する存在でもあり、その廃止は
「地域の誇り」
を失うこととも直結している。このように、維持論者は鉄道の社会的価値に着目しており、それを数字に表すことは難しいため、廃止論者の視点とはかみ合わない。