転生したら「東京モノレール」だった件
1964年の東京オリンピックに合わせて開業し、還暦を迎えた今でも静かでスムーズな乗り心地が魅力だ。しかし、京急空港線の台頭や2031年に開業予定の新アクセス線の影響で、その立場も変わりつつある。
自慢2「羽田空港と歩んできた歴史」

もちろん吾輩は、羽田空港とともに歩み、
「羽田空港へのアクセスといえば東京モノレール」
という時代を築いてきた。しつこいようであるが吾輩の誕生日は1964年9月17日、東海道新幹線開業が1964年10月1日、東京オリンピックは1964年10月10日だ。つまり、東京オリンピック開催にあわせて、吾輩は突貫工事で造られた。
当時は成田空港がなく、東京のいや日本の“空の玄関”といえば羽田空港であり、各国の要人が吾輩を利用し、国際的には東海道新幹線より脚光を浴びたといってもいい。
開業当時は、羽田駅、今の天空橋駅までであったが、羽田空港の拡張とともに羽田空港第2ターミナルまで足を伸ばすこととなる。また、開業時は浜松町と羽田をノンストップで結んでいたが中間駅も設けられた。
1965(昭和40)年の大井競馬場前駅を皮切りに、
・羽田整備場駅(現在の整備場駅)
・新平和島駅(現在の流通センター駅)
・昭和島駅
・天王洲アイル駅
が開業し、今では沿線エリアの足としての役割も担っている。1日あたりの乗降人数(2023年)では、天王洲アイル~昭和島間が約5.4万人、整備場~羽田空港第2ターミナル間が約7.1万人と、
「中間駅の利用者が多い」
のも自慢といっていいかもしれない。