「このままでは寂れる一方や」 北大阪急行延伸で“途中駅”に没落した「千里中央」 しかし駅周辺で大規模再開発! かつての繁栄を取り戻せるのか?
施設が老朽化し、終着駅から途中駅に

千里中央駅は1970(昭和45)年、吹田市の江坂駅から同市内の大阪万博会場へ向かう路線として開業した。万博が終わると、現在の千里中央駅南側にあった仮駅から急カーブして東へ延びていた会場へ向かう部分が廃止されて終着駅になる。
北大阪急行が当初から大阪メトロの前身・大阪市営地下鉄御堂筋線と相互乗り入れする一方、1990(平成2)年に大阪モノレールが開業した。駅前には豊中市内だけでなく、吹田市や箕面市などへ向かう路線バスが多数発着した。
千里中央駅が位置するのは、豊中市と吹田市にまたがる千里丘陵約1160haを造成した千里ニュータウンの中心部。当初から大阪府北部の中心とする思惑が込められ、周辺に大型商業施設が相次いで整備された。千里ニュータウンは国内初の大規模ニュータウン。当時としては最先端となる新しい街の形を提示した格好だ。
駅の乗降人員は千里ニュータウンの人口増加にともなって増え、ピークの1990年代には1日平均10万人以上を記録した。その後、千里ニュータウンが人口減少に陥り、乗降人員が8万人台に下がったが、若い世代向けの建て替えやマンション整備で人口が回復すると、再び増加に転じ、コロナ禍前は9万人台に戻している。
だが、集客の要となる大型商業施設は、いずれも大阪万博前後の開業。築40年が過ぎた2010年代に入ってそろって老朽化が目立ち始めた。千里セルシーが2018年の大阪北部地震で被災し、営業を見合わせるなど、耐震性の問題も表面化してきた。
そこへ追い打ちをかけたのが、北大阪急行の延伸だ。2024年3月に箕面市の箕面萱野駅まで延伸したことにより、千里中央駅は終着駅から
「途中駅」
に変わった。阪急バスが路線バス網を再編した結果、駅前に発着するバスの本数も減る。地元の一部商業者からは千里中央の危機を訴える声が上がった。