隣に座る「トナラー」より迷惑? 電車でやたら押してくる「押スナー」という現代の闇

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コロナ禍でリモートワークを経験し、再び満員電車に戻った人々は、以前以上にストレスを感じるように。夏の暑さや“押スナー”による圧力で、肉体的・精神的な負担が増大している。

憂さ晴らしの実態

満員電車のイメージ(画像:写真AC)
満員電車のイメージ(画像:写真AC)

 電車において、人が人を押すシチュエーションには次のようなものがある。

・混んだ電車に乗り込むため
・席に座るため
・自身のスペースを確保するため
・もっと奥に移動するため
・下車するため

席に座るために押すのはあさましく感じられやすいが、どれも電車を利用する行動としては当たり前のものだ。

 後ろに押スナーがいて、その結果、自分が前の人を押すことになって、押スナーと勘違いされるのが嫌という人たちもいる。

 一方で、押スナーはもっとドライである。

「車内の奥のほうが空いているのに、詰めないで突っ立っている人が邪魔」
「降りないで出口で踏ん張っている人は何なのか」

 実際、流れを止めている人たちがいる状況であれば、その人たちに動いてもらわないと、自分自身、そして後ろの人たちが、乗れなくなる、降りられなくなる。そういう意味では、動きをつくらなければいけないこと自体はたしかである。間違っていない。

 押スナーたちは、ある意味、“満員電車のプロ”である。毎日毎日、何年も何十年も満員電車を利用してきて、その仕組みに慣れきっている。

「押されて怒るような人は電車に乗らないほうがいい」

慣れきっている分、心が乾ききっているのか、電車において、押されるのは当たり前、状況に合わせられないほうがおかしい人としている。

 問題なのは、邪魔な人は押してもかまわないという気持ち、その気持ちが少々憂さ晴らし的な押し方になることだろう。

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