創業者「王伝福」とはいかなる人間なのか? 逆境を超えた電池王、その挑戦とは【短期連載】進撃のBYD(1)

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BYDの快進撃は、創業者王伝福氏の逆境を乗り越える挑戦と革新の結果である。独自の生産方式と公共交通の電動化戦略で、深セン市をはじめ多くの都市でEVタクシーとバスを普及させた。いまや技術革新で世界市場を席巻する企業へと成長している。

農村から世界へ、王伝福の軌跡

BYDの発売した自動車(画像:BYDジャパン)
BYDの発売した自動車(画像:BYDジャパン)

 中国の電池メーカーが驚異的な成長を遂げ、世界最大の電気自動車(EV)メーカーとなった比亜迪(BYD)。その飛躍的な躍進は世界に衝撃を与えた。同社の創業者・王伝福氏は卓越した洞察力とユニークな経営手腕を発揮し、この成長を導いた。同社は、電池事業で培った「人とテクノロジーの融合」の生産方式を武器に自動車業界に参入。2005年に発売した「F3」は瞬く間に中国市場を席巻。各国の政府の後押しもあり、急成長を遂げた。本連載では、BYDの急成長の要因を分析し、その実力を明らかにしていく。

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 中国のEVメーカー・比亜迪(BYD)の快進撃が続いている。日本国内で各所に正規ディーラーがオープン、テレビCMも盛んに行われている。そんな企業を率いるのが、創業者の王伝福氏である。1995年に工業団地の片隅で始まった会社を、瞬く間に世界屈指の企業に成長させた、この人物の人となりからBYDの来歴をみていこう。

 王伝福氏は1966年2月、中国安徽(あんき)省の農村で生まれた。当時農村は荒廃しており多くの人々は食べるにも着るにも事欠き、やっと生計を立てていた。両親はともに農民で、高等教育は受けていなかった。家族は「吃飽穿暖(食べるに飽き、着るにあたたかい)」ことだけを願い、ぜいたくとは無縁の生活を送っていた。そんな王氏に、人生最初の試練が訪れる。13歳の時に父親を、15歳の時に母親を亡くしたのだ。

 両親を立て続けに失った王氏は、家計を支えるために学業をあきらめ、働くことを考えた。しかし、兄の王伝方氏に止められた。兄は弟の教育を何としても継続させる決意を固めていたのだ。兄のサポートを受け、王氏は勉学に励んだ。兄は『孟子』の

「天将降大任于斯人也、必先苦其心志(天は人に大仕事を任せるとき、必ず大苦境に陥らせる)」

の一節を引用して、弟を諭したという。

 努力が実を結び、王氏は1983年に中南工業大学(現・中南大学)冶金物理化学科に進学した。在学中は、勉学に力を入れるだけでなく、学生活動やボランティアにも積極的に参加した。卒業後は北京有色金属研究総院の研究員となり、そこで電池の研究開発に携わった。

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