創業者「王伝福」とはいかなる人間なのか? 逆境を超えた電池王、その挑戦とは【短期連載】進撃のBYD(1)

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BYDの快進撃は、創業者王伝福氏の逆境を乗り越える挑戦と革新の結果である。独自の生産方式と公共交通の電動化戦略で、深セン市をはじめ多くの都市でEVタクシーとバスを普及させた。いまや技術革新で世界市場を席巻する企業へと成長している。

独自生産ライン開発

BYDのウェブサイト(画像:BYD)
BYDのウェブサイト(画像:BYD)

 当時、この市場においては日本メーカーが非常に強力だった。しかし、資金に乏しい王氏は、日本メーカーが使っているような製造設備を購入することができなかった。そこで、王氏は、独自の生産ラインを開発した。本来はフルオートの機械が用いられる工程を、半自動の人力生産ラインに分解し、各工程を数個の作業場に分け、熟練工と彼らが手にする数元の治具によって製造するというものだ。これは

「小米+歩兵銃」

方式と呼ばれた。「小米(人海戦術)」と「歩兵銃(安価な設備)」を組み合わせたものである。由来は、中国共産党が日本軍と国民党に対して戦った抗日戦争と解放戦争の時期、物資が非常に乏しい状況下で自給自足を続けながら、革命を成就した際の中国共産党のスローガンのひとつ「小米(アワ)を食べ、小銃を手に」に由来する。自給自足の生活をしながら武装闘争を続けるという意味だ。

 この方式には以下のようなメリットがあった。

・初期投資を大幅に抑えられる:高価な自動化設備を購入する必要がない。
・柔軟性が高い:需要に応じて人員を調整できる。
・品質管理がしやすい:各工程を細分化し、熟練工が担当することで、不良品の発生を抑えられる。

 この方式は、当時の中国の労働集約型産業の特徴を巧みに活用したものであった。こうして、BYDは低コストで高品質の電池を大量生産することが可能となり、日本企業をはじめとする競合他社に対して大きな価格競争力を持つことができた。

 その結果、1997年にはBYDは中国最大、そして世界第4位の電池メーカーにまで急成長を遂げた。さらに2003年には、日本の三洋電機を抜いて世界第2位の「電池王」の座に就いたのである。

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