日本の貨物航空会社はなぜ失敗するのか? 佐川急便G「ギャラクシーエアラインズ」の記憶、モーダルシフト推進で再考する
ニッチ市場の難しさ

以降、国内線で貨物航空会社はなかなか誕生しなかった。
次に登場したのは2003(平成15)年に設立されたオレンジカーゴである。この会社は、トヨタ自動車の基盤を築いた石田退三のひ孫、石田泰正が立ち上げたもので、8億円あまりの資本金の大半を石田が個人資産から拠出したことでも話題となった。
オレンジカーゴは、リース契約した小型プロペラ機4機を使用。2003年10月から羽田~長崎・鹿児島を1日各一便で就航した。同社では、航空貨物の多くは旅客便を利用し日中空輸されいることから、深夜早朝に発着することで差異を出せるとしていた。
また同年12月からは、羽田~熊本・大分のほか、長崎~五島、鹿児島~屋久島の離島便にも参入。2004年からは羽田~宮崎路線も開設することや、2005年からは中部国際空港を拠点とする事業計画を発表していた。
同社では、2003年9月の法改正で大型トラックに速度抑制装置の装備が義務付けられることによって、東京と地方を結ぶ迅速な貨物航空便の需要は増加すると見込んでいた。そのなかで、大手が参入しない地方路線に就航し、ニッチな需要を満たすという戦略だった。
同社には、あいおい損害保険やセントラルリースなども出資していたものの、ニッチ戦略は半信半疑で受け止められていたようだ。『朝日新聞』2003年10月1日号では
「新規組最大の悩みである資金面で苦労しそうにないのも強みだ」
とまで書かれている。
あらぬ形で注目を集めた同社だが、その運行は開始当初から難航を極めた。11月には機長を始め、人材不足によって羽田~長崎線の運休を余儀なくされた。運航を続けた羽田~鹿児島線でも、需要は少なかった。
後の報道では、最初期を除いては、最大積載量5tに対し、平均して
「0.6~0.9t」
の貨物しか積載されなかったとされている。ニッチ需要を狙った同社だったが、予想以上に需要が少なかったのである。結局、同社は2004年3月に営業を停止し、破産に至った。