「男女平等 = 逆差別」とネットに書き込むオジさん社員に欠けた企業改革精神、「適材適所」論はもはや古すぎる

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「男女平等が行き過ぎている」と指摘する男性は、必ずしも女性蔑視者ではなく、むしろ女性に「恐怖心を抱く人物」だという。日本での改革はどこまで進むか。

日本の男性から起こりがちな意見

中年男性社員のイメージ(画像:写真AC)
中年男性社員のイメージ(画像:写真AC)

 筆者(才田怜、ジェンダー研究家)が女性活用に関する記事を書くと、ヤフーニュースのコメント欄などに決まって書かれるのは、

「重要なのは優秀な人間の活用であって、男女で決めるべきではない」
「男女のそれぞれのよいところ(体力、こまやかな気遣いなど)を生かすべきで、男女で決めるべきではない」

といった「適材適所」論である。確かにそれらは間違っていない。もし現在、すでに男女平等の世の中であれば、だ。

 少々辛辣だが「男女平等が行き過ぎている」、つまり“逆差別”を指摘する男性は

「平凡な人物」

であることが多いと国内外でいわれている。

 オーストラリアのビクトリア州公共部門男女平等委員ニキ・ヴィンセント博士によれば、“逆差別”だと考える男性は、必ずしも女性蔑視者ではなく、むしろ

「恐怖心を抱く人物」

であることがよくあるのだそうだ(2023年4月20日付、『women’s AGENDA』)。

 意識していたにせよ無意識だったにせよ、恐怖心とは、

「男性であるがゆえに下駄を履かせてもらえていた」

のに、

・仕事
・昇進
・地位
・権力

を失う危機に面した恐怖心である。

 実際はその下駄がなくなり(女性からすれば目の前にあった障壁が下がり)、有能な女性がその役職に就くことができるようになっただけなのに、「クオータ制導入(一定割合を女性にする)」で不利になったと主張する男性が海外でも多いという。

 ノルウェーの研究でも、クオータ制導入により、平凡な男性が才能のある女性に押し出されていることが判明した。つまり、不公平とは程遠く、性別に囚われずに

「真の実力」

で決まっていることが保証されたとヴィンセント博士はいっている。

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