高速道路はなぜ「無料化」されないのか? 有料期間あと92年という現実、背景にあった道路公団時代の巨大利権とある男の存在
放漫経営の中枢にあった「技官帝国」

この放漫経営の中枢にあったのが、建設省(現・国土交通省)の内部にあった
「技官帝国」
だった。
建設省では、事務官(事務系)と技官(技術系)が各派閥をつくり対立していた。そうしたなか、道路局や河川局など大規模公共事業を管轄する部署は、技官が主導権を握る「技官帝国」となっていた。この「帝国」は、東京大学土木工学部出身者を頂点として、大学のゼミの先輩後輩という狭い人脈のなかで絆を結ぶ、極めて閉鎖的な世界だった。
この「帝国」で頂点を極め、2003(平成15)年の道路公団民営化に抵抗したことで名を知られたのが、2023年3月に死去した藤井治芳(はるほ)だ。建設省から道路公団総裁までのし上がり、
「道路のドン」
「ミスター道路」
「ミスター高速道路」
と呼ばれた。
藤井は、生まれながらにして「道路の申し子」といえるまれな人物だった。父の真透(ますき)は内務省の官僚として明治神宮外苑のいちょう並木道路などを手がけ、「日本の道路の父」と呼ばれた土木技官だ。もちろん、東京帝国大学工科大学土木工学科出身である。
内務省在勤中も東京帝国大学で教壇に立っていた真透には、多くの門下生がいた。真透の威光は絶大だった。藤井は大学生の頃から将来を考え、各地の工事現場を視察しているが、そのときも真透の紹介状で国鉄の運賃は無料となり、行く先々の駅では出迎えがあり、宴席も設けられた。
藤井は1962(昭和37)年に建設省へ入省し、「河川局のドン」と呼ばれた山本三郎事務次官(後に水資源開発公団総裁)の娘と見合い結婚している。そして、藤井は「元祖道路族」と称される瀬戸山三男の権勢によって政官財にネットワークを築き、無謀な建設を推進していった。
瀬戸山は1965年、佐藤栄作内閣で建設大臣となり、青森県から宮崎県と鹿児島県を結ぶ全長7600kmの高速道路を建設することを定めた「国土開発幹線自動車道建設法」に関わった人物である。宮崎県都城市選出の衆議院議員で、藤井家のルーツ(薩摩藩士)とリンクしている。