トラック側面の文字が「逆さ」になっているワケ ちまたの「昔は右から読んだ」説を一蹴する!

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最近、トラックの車体の「逆向き文字」をあまり見かけなくなった。昭和の頃には当たり前だったが、今ではその数を減らしている。そもそもなぜ逆向きなのか。

「右横書き」「左横書き」混在時期も

トラックの「逆向き文字」イメージ(画像:写真ACの画像を基にMerkmal編集部にて加工)
トラックの「逆向き文字」イメージ(画像:写真ACの画像を基にMerkmal編集部にて加工)

 横書きは仏典に使われるサンスクリット語で知られていたが、日本では普及していなかった。しかし、幕末から明治にかけて西洋文化が輸入されるようになると、急速に使われるようになった。

 このとき、ルールは明確に定まらなかった。西洋言語を理解できるエリート層なら左から右に読むことはわかる。ところが、庶民は文字が横に書かれているという生半可な知識だけで横書きを使うようになった。結果、両者が混在する状況が生まれてしまったというわけだ。

 屋名池氏の研究によれば、これが理由となり、鉄道の客車では

・行き先や等級などの乗客向けの表記:右横書き
・車両のスペックなど技術者向けの表記:左横書き

と、混在していた時期もあった。

 その後も混在する時期は続いた。これは書籍で使われていたことによるものだ。書籍では主に縦書きだが、見出しなどは右横書きのほうが、文字が一定方向に流れるので便利と考えられていたからだ。

 一方、これを統一しようとする動きもあった。

 当時の文部省の国語審議会は1942(昭和17)年、左横書きを求める答申を出している。ところが、太平洋戦争中にあって左横書きは

「米英を崇拝するもの」

として排斥する動きも強く、採用されなかった。

戦後「右横書き」が衰退した理由

ローマ字のイメージ(画像:写真AC)
ローマ字のイメージ(画像:写真AC)

 この思考は戦後になると一転する。

 戦後の日本では漢字を廃止してローマ字を使うことを求める主張までもが出るようになるほど、それまでの伝統的文化が排斥される時期があった。この間に、

「右横書き = 保守的・国粋的」

であるという見方が広く普及し、左横書きが主流になっていった。

 なかでも、1952(昭和27)年に内閣が発出した通達「公用文作成の要領」で、なるべく左横書きで書類を作成することが望ましいとされたことから、左横書きの普及が促進していった。

 もっとも、現在でも国会の法律案や議事録などは縦書きのままである。また、裁判所は2001(平成13)年まで全ての文書が縦書きであり、司法試験の答案も縦書きで記述されていた。

 というわけで、明確な表記ルールが定められ左横書きに統一されたわけではないため、あたかもルールが変更された後に、車体だけは旧習を守っているかのような

「昔は右横書きだった」

という説明は正しくないのである。

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